ギックリ仙骨? プル

土曜日の夕方、仕事が終わると何だか仙骨や臀部の辺りが痛い。
何やら筋肉痛にも似た、表面的な筋肉の痛み。
と思っている内に、次の日のキャンセル電話が重なりました。
結局、日曜日の予約がゼロに。(^^;

「ラッキー、明日はCD-Rでも買いに出ようか。……にしては仙骨
周りが痛いなあ。」
と思いながら床に就きました。

翌朝起きると、た、立てない。(^^;;
立ち上がる時、仙骨の辺りに激痛が……。
立ってしまうと何でもないけど、立ったり座ったりの中腰の姿勢
で激痛が走る。
「情けなぁ(^^;、、トホホ。これってギックリ腰みたいじゃん。」
咳をしても痛い。

「このままではCD-R買いに行けないなぁ。」と思い、『操体法』
をやろうと寝っ転がってみる。
痛みが取れれば、掲示板でのいいネタにもなるし。
でも、いざ寝っ転がってみたものの、全然うごきたくない。
しかしそれでも痛みは取りたい。

「気持ちよくうごいて、、、と」と実際にやってみるけど、そも
そもうごく気がないから、気持ちよくもない。
と、その時頭上から怒鳴り声がした。(ような気がした)

        余計なこどスンナって!

うわ、翁先生だ。(^^;
す、すんません。
からだがやりたくもないこと、止めます。(^^;ゞ

で、CD-Rも諦めた。

大部前にひいた風邪が、またぶり返してるような感じもあったし。
首筋が寒くてお腹も冷えている感じもしていたので、首にはタオ
ル、お腹にはホッカイロを入れて。
たったこれだけの作業も、時々痛みが走って疲れ果ててしまう。
そしてフトンの中へ。
ふぅ〜、寝てると落ち着く。(^^)

とろとろまどろんで目が醒めると、今度は寝てるだけで仙骨や臀部
の辺りが痛い。
眠くもないし、起きあがってソファーで横になってみるけど痛い。
いろいろ工夫をしてみるけど、どの体勢でも痛いんだ、これが。
しかし、痛みは体力を消耗するもんだ。
少し起きているだけで、気分はゼェ、ゼェ。(^^;
「そおかあ、ギックリ腰ってこんな感じなのか」と、ギックリ腰の
患者さんの気持ちが少しわかったような……。

で、最終的にパソコンの前のイスが一番楽なことが判明。
メール書きや「温古堂ものがたり」のアップをやる。

と、しばらくすると座っていても痛くなる。
そして眠気も。
なので、フトンの中へ。
おぉ、今度は寝ると楽。

しばらくとろとろすると、また痛みで目が醒め、またパソコンの前へ。

というのを何回か繰り返す。

途中、友だちから「今日、治療が受けたい」という電話が入ったのだ
けれど、断ってしまった。(^^ゞ

痛みは最初、仙骨と左仙腸関節のあたりだけだったのが、左臀部にも
拡がっていた。
どのように変化しているのかはわからないが、とにかく感覚は変化し
ている、ってのがけっこう不思議。
痛みがありつつも、いつものように晩酌して就寝。

そして月曜日の朝である。
ゆっくりと起きあがってみる。
痛みは、左仙腸関節を中心に左腰から左側腹部、そして左臀部から左
大腿外側まで薄〜く拡がっている。
まるで仙骨の左奥にあった痛みの素が、拡散して拡がった感じ。
激痛はウソのようにない。
「やった(^^)」

余計なことは何もせず、ただからだにまかせていればいいのよね。
と、あらためて感心したプルです。

           そうなってんだあ。

と言うんでしょうね。
橋本先生。

という訳で、多少の痛みが左大腿部、左側腹部に残っているものの、
月曜日から通常モードで元気に働いております。(^^)


しかし、この「からだにまかせる」または「つきつめると原始感覚
ということになる」的なことは『操体法』というより、操体 と呼
んだ方がしっくりきますね。

 


106 そうたい まる 2001/03/13 23:03

プル>
> 治療師の不養生の話ですが。(^^;


       プルさんの文章 血が通って来ました。 (^^)


> しかし、この「からだにまかせる」または「つきつめると原始感覚
> ということになる」的なことは『操体法』というより、操体 と呼
> んだ方がしっくりきますね。

こういうケースは「方法」じゃ ないですからね。  
だから「○○法」っていうと なんとなくヘンな感じ。



今回のプルさんの経験と似たような事を 十数年前 仙台に移住して
間もない頃に 立て続け2回 も 味わいました。
これは 話せば長いので また そのうち。

ある意味 その時の体験の 分析 が 僕の操体理論 になっていて
それが 「翁先生に通用するかどうか」 を 確かめるのに 温古堂
に通っていた・・・・とも言えるような一面があります。


いま 思えば かなりの無茶をやってました。


僕が代診をしたとき ある患者さんが 動診を受けつけない。要するに 
どこを どう 動かしても 不快で 痛い。
気持ち言い動きも 不快から逃げる方向もみつからない。

そこで 翁先生の許可も得ずに 帰しちゃった。(治療代もらって) (^^;


       「どう動かしても痛いってときは 体が じっとしてて欲しい 
       って言ってんだから、家に帰って いっぱい寝てください。」て。


本人を帰してから すぐ この考えを 翁先生に確かめましたけど。


       「その とーりだ」


って 言ってもらって ほっ としてから 我に返ったというか。

操体法の宗家で どえらいことやっちゃったなぁ  って。 (爆)

                        もー、冷や汗もん。(^^;



それ、紛れもなく 操体 ですよ。 >プルさん


107 Re:そうたい プル 2001/03/14 21:39

>       プルさんの文章 血が通って来ました。 (^^)

だとすれば、この掲示板やまるさん、操体のおかげです。

> それ、紛れもなく 操体 ですよ。 >プルさん

この一行を見て、なんだか、すごくホッとしました。
からだの芯がふわっとゆるんで。
なんか、やっと自分ん家に帰ってきたみたいな気分っス。(^^)

ありがとう、まるさん。

たぶん、ぼくの中に、ものすごい葛藤があったみたいなんですね。
「治療家として、プロとして、結果を出す『操体法』をやらなくてはいけ
ない!」という自分と。
「違うんだってば! 操体はそれだけじゃない! そもそも治療じゃない
んだってば!」という自分と。
表面上は「治療としてだけの『操体法』なんて変」と嘘吹きながら、実は
内側で全然折り合いが付いてはいなかったんスね。(^^;ゞ


しかし、今回の「ギックリ腰もどき事件」は面白かったです。

そもそも前日、オスオパシーの頭蓋仙骨療法の本(「もうひとりのあなた」
J.E.アプレジャー著)を読み終わったところだったし。
「何で頭蓋仙骨がらみの本を読み終わったその次の日、その仙骨が痛まな
くちゃいけないんだ?!」とか、思う訳ですよ。

しかも「温古堂ものがり」みたく、「あら不思議」、とか魔法のようにす
ぐ治っちゃう訳でもなし。
「掲示板のネタにもならないなあ。」とか。

でも、経過していくに従って、時が過ぎていくに従って、すんごい面白い
んですよね。

>まるで仙骨の左奥にあった痛みの素が、拡散して拡がった感じ。

前回そう書きましたけど、そんな感じで物事が進んでいきました。

仙骨の奥に抱え込んでいた葛藤や緊張の素が、痛みとして浮き出して。
拡散して拡がって・・・
そして消えていった。
そんな感じです。

例えば、操体に対する未整理だった葛藤が、まるさんの一行でフッと
消えてしまったり。

最近続いていたある滞りが、今朝、フッと溶けるように消えたり。

息・食・動・想、そして環境は、ほんと繋がっているんですね。
繋がっている、というより、ひとつ、ですね。
からだの痛み、緊張、滞りが拡散するとともに、環境、対人関係の滞
りもスッと通ってしまう。

今朝は、ホントに新たなはじまり、そんな新鮮な気分でした。

「温古堂ものがたり」をリメークしてた、というのもものすごく影響
してますね。
ここのところ、ずーっと翁先生が出てくるシーンの中に入ってました
し。
今でも声が聞こえそうですよ。(^^;

余計なこどスンナって!

治るように出来てんだから

病気なんてネェんだって、何遍言ってもわがんねェ  


108 Re:そうたい まる 2001/03/15 18:39

>> それ、紛れもなく 操体 ですよ。 >プルさん?

   >この一行を見て、なんだか、すごくホッとしました。?
   >からだの芯がふわっとゆるんで。なんか、 やっと
   >自分ん家に帰ってきたみたいな気分っス。(^^)?
   >
   >ありがとう、まるさん。?


       プルさん、 な、なんか 気分よく なってるな? (^^)


「ありがとう」(ございます) という言葉は 翁先生が よく?
[不思議そうな顔]をしながら 受け取っていたのを 思い出します。

で、いいわけするみたいに 「そう なってんだから・・」と
つぶやく。「しかたないじゃないか」って。 そんな感じで。

俺の せいじゃないぞぉ。 って 顔が 言ってる。

よくなった患者さんが しつこくお礼を言うと ついには 怒り出す。

 
      オレ 治したんじゃ ねェ!!


自分は 絶対そんな事やってないのに なんで そんな事言うんだ。
ヒトに責任をかぶせるもんじゃない!!  って ・・・ (^^;


「ありがとう」を 素直に受け取らないのは ひねくれてるわけじゃな
くって 照れ屋ってわけでもなくて、ただ単純に お礼 言われるのが
「不思議」なだけだったんだろうな。



      ともあれ 気分いい のは いいことです。(^^)



>息・食・動・想、そして環境は、ほんと繋がっているんですね。?
>繋がっている、というより、ひとつ、ですね。?
>からだの痛み、緊張、滞りが拡散するとともに、環境、対人関係の滞?
>りもスッと通ってしまう。?

だから この全体のアンバランスを 感じ取れたら それでおしまい。


109 ちょっと分析 まる 2001/03/15 21:51

プルさんの症状を ちょっと分析 してみました。
気分悪くしないでくださいね。 >プルさん  ( 悪気ないし。)  

プル>
>「何で頭蓋仙骨がらみの本を読み終わったその次の日、その仙骨が
>痛まなくちゃいけないんだ?!」とか、思う訳ですよ。?

これはね。 仙骨の事を書いてある本、読んだ 「から」 仙骨に
来たんですよ。 (^^) たぶん。

治療法の枠組みにとどまらない <そうたい>  と
治療法としての<操体法> と の葛藤 でしょ?

一方で 「温古堂ものがたり」を作りながら、同時に
「治療法である<頭蓋仙骨療法>」を読むということ その事 が  
この葛藤を象徴的に あらわしている行為 のように見えるんですが。

意識が 仙骨というイメージに集中した事 だけでも 充分に?
仙骨周辺の緊張が 高められたと思います。
その緊張に 待ってましたとばかりに この葛藤(緊張)が 
同調してくる。

で 結果、「身動き取れない」状態になる。 (^^;


これ読んでるみなさんは、「この分析の どこが操体法なんだ」
とか 思われるかもしれませんが。

でも「想」と「動」との 連動 って こんな感じのもんだ と
思っています。


110 そうたいと操体法 まる 2001/03/16 14:13

   > それ、紛れもなく 操体 ですよ。 >プルさん?

という、この一行は <内から感じる目> が 見て、体から 勝手に 
湧いて出た言葉です。(たぶん)



でも、次の投稿 の 難しげな記述

    >意識が 仙骨というイメージに集中した事 だけでも 
    >充分に 仙骨周辺の緊張が 高められたと思います。
    >その緊張に 待ってましたとばかりに この葛藤(緊張)
    >が 同調してくる。
    >
    >で 結果、「身動き取れない」状態になる。

は <外から見る科学者の目> が 見て アタマが分析 した結果
の 言葉です。(たぶん)



「癒す力」を 持つのは <内から感じる目> のほう だけど、
それだけでは、「名人は一代きり」の職人芸で 終わってしまう。
 
ひと(第三者)にわかるように語るには <外から見る科学者の目>
が要る。

     操体(翁先生の目)は その両方持っていて、行ったり
     来たりして 遊んでいたみたい。


<外から見る科学者の目> で からだ を見ると、「操体法」。

<内から感じる目> で 生命現象の全体 を 眺めていると、「そうたい」。

そんな イメージ。


111 Re:そうたい プル 2001/03/16 14:27

>       プルさん、 な、なんか 気分よく なってるな? (^^)

いや、かなりビックリしたんだと思います。(^^ゞ

こんな何でもないことで、からだに限らず、まわりも含む”自分”っていう
場が、する〜んって楽に軽くなっちゃって。

         病気なんてネェんだ

ってことが少しわかったような気がします。
痛みや病気といわれるような症状、感覚を排除しようとするんじゃなくて、
それも味わいつつ、感覚を見守りつつ、一緒に過ごすだけ。
そうしてれば、わざわざムチャなことはしませんし、出来ないっスものね。

この辺のニュアンスって難しいですね。
「痛みを取るために気持ちよくうごく」ってのも、入り口としてはいいと思う
んですけど。

> 「ありがとう」(ございます) という言葉は 翁先生が よく?
> [不思議そうな顔]をしながら 受け取っていたのを 思い出します。
>?
> で、いいわけするみたいに 「そう なってんだから・・」と
> つぶやく。「しかたないじゃないか」って。 そんな感じで。

         そう なってんだから・・

         しかたないじゃないか

ですね。


関係ない話っスけど。

津軽生まれ、津軽育ちのぼくには「気持ちいい」っていう言葉は、どうも
からだに響かない言葉です。
「じゃ、どんな言葉?」とか思いを巡らしてたんですけど。

         あずましい

かな、と。
「吾妻しい」と表記する、って説もあるらしいですが、定かではありません。

例えば温泉に浸かった瞬間に「ワィ〜、あんずましじゃ〜」とか。
               (はぁ〜、気持ちいぃわ〜)

誰かに肩を揉んでもらって「おぅりゃ〜、あんずましのぉ〜」
              (おぉ〜、気持ちいいじゃないかあ)

で、確かに気持ちいいは気持ちいいなんですけど、そこには「ホッとする」
「くつろぐ」感じや、「ありがたいなあ」というニュアンスも含まれる感じ
がします。
特定の対象に向けたものじゃない「ありがたさ」。

うん。
操体って、ありがたいっス。


ところで「気持ちいい」って、他の地方ではどう言うんだろ?
 

> >息・食・動・想、そして環境は、ほんと繋がっているんですね。?
> >繋がっている、というより、ひとつ、ですね。?
> >からだの痛み、緊張、滞りが拡散するとともに、環境、対人関係の滞?
> >りもスッと通ってしまう。?
>?
> だから この全体のアンバランスを 感じ取れたら それでおしまい。

味わえるといいんですけど。


112 Re:ちょっと分析 プル 2001/03/16 14:28

> プルさんの症状を ちょっと分析 してみました。
> 気分悪くしないでくださいね。 >プルさん  ( 悪気ないし。)  

操体のネタだったら、いくらでも好きなように切り刻んでください。(^^)

> で 結果、「身動き取れない」状態になる。 (^^;

自分じゃあ気がつかなかったスよ。
「身動き取れない」ほど葛藤してたなんて。

でも、思い返せば十数年。
積み重なってきてたんですね。
しみじみ。


113 Re:そうたい まる 2001/03/16 21:13

プル>
> 「痛みを取るために気持ちよくうごく」ってのも、入り口としてはいいと思う
> んですけど。

でわ

そろそろ 「操体法(技術)」 のはなしも しましょうか。 (^^;

これまで「想」に関わる話題が かなりのウェイトを占めています。
掲示板は「文字」で やりとりする コミュニケーション形態なので
「体の動き」や「感覚」を表現しにくい というのは 確かなんですが
そこを なんとか。

「そうたい(原始感覚的)世界」 への 入り口としての「操体法」は 
やはり それなりの 重みを持つのです。


            入り口なしでは 入れないしね。 


さて・・・

操体では 「運動系」 のなかに 「皮膚」まで含んでますよね。

「皮膚」は という場所は 全部 実際に繋がって(連動して)
いる 運動器 です。 

と同時に 人体最大の 「感覚器官」 であったりします。
痛い も あたたかい も  ここで 受け取るわけです。
「目」だって 皮膚の変化形態ですし。嗅覚もそうですよね。


同時に また 肺に匹敵する能力をもつ「呼吸器官」でもあるし。

また、とんでもない量の 毛細血管とリンパ管 が皮膚に集中して
いて 「循環系」としてみても どうしても見過ごせない場所です。


そして なにより 「自分(想)」と「世界(環境)」 との 
< さかいめ > です。


「自分を包む皮膚」という感覚とイメージとは 
「ワタシ」という 想の「核心」 を形作るのに なくてはならない 
「原型となる感覚」なのではないか、と さえ思えます。 


思えば すごい場所です。


息 食 動 想 環境  の ほとんど が 絡んで来るところ なん
ですよね。ここ。
こう見てくると 皮膚という場所 は  全身をつなぐ連動ポイント 
なのではないかと さえ 思えてきます。

実際、皮膚領域 で 操体すると(かわのそうたい と呼ぶほうが かわいい)
さまざまのものが 連動して来ます。

           
            おもしろいよ〜   (^^)



と ここまで書いて 技術を 文字で表現するのは とっても大変で 
思いっきりめんどくさい。という事が 改めて 実感として迫ってきた
りして・・・(ガンバっちゃ だめだよ〜)


                      (^^;


ということで 「反応」があるようなら 「つづき」を書く って
ことで。(はは・・)

 

[原文 No.105 - 2001/03/13 17:55]

 

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