操体法・仙台勉強会&講習会:ライン
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 2000年9月17日 操体法仙台講習会 ヤジウマレポート わくわくやじうま隊

□ 講  師 :操体医学研究所 今治療室 今昭宏先生
□ 受講日 :2000年9月17日(日)13:00から (今期 第6回目)

□ 内容

受講者の一人を対象に、膝裏、肩甲骨付近の肩、ふくらはぎ、左腕の付け根などのコリをとる操法を行った。初めにコリの部分を触診し、カカト踏み込み、前回行ったローリング操体、痛い部分を押さえてそこから逃げる操法などを行った。最後は2人組になって足を持って体を揺らす操法の練習を行った。

□ 感想

今回実験台になってくださった方の体ががっちりしており、コリの位置がつかみづらかった。人によって体が違うことを実感した。自分も早く治療院に修行に入った方がいいのかと迷う。

 ローリング操体はやはりベッドの上では無理。写真1は手ブレだが、逆に雰囲気が出ているので掲載した。肩甲骨のコリとふくらはぎのコリをとるために、状態を追いかける二人と合わせて3人掛かりの操体となった。うまく回転させるため操者の体の位置も難しい。

 操法としては後半に行った足を持って体をゆする方法が気持ち良かった。揺らす方法にもいろいろあって、私は上下よりも左右の小刻みな揺れが気持ち良かった。特に親指と小指。終わってしばらくは気持ち良さで頭からつま先までだるくなっていた。
  私が揺らした相手は、仰臥位で横になっても背中の感覚がないとのこと。最初は上下に強く揺するのが気持ちいいと言うことだった。しばらくすると背中の感覚が戻り、左右に小刻みに揺らすのがいいという。気持ち居場所も私とは違う。揺らすリズムも施術者のリズムと相手に合うリズムが違うのが面白い。相手の希望に合わせていろいろリズムを変えてみるが、結局施術者が気持ち良く揺らしているリズムが一番イイ感じだという。これまた面白い。

この講習会はいい”気”が流れている。悩みを抱えてきても、二日酔いでもここにいるだけで何かホッとするのだ。
私は学校(赤門鍼灸)に行き始めてから、”気”というものを考え始めた。
”気”とは何なのだろうか?
東洋医学的には様々な気があって、それぞれ説明されているが私にはよくわからない。
私にとって”気”とは生物が発生する一種のエネルギーだと思う。個体差はあるし、種類もたくさんある。人は体調や状況によって様々な気のエネルギーを出している。いい気もあれば、イヤな気もある。
私は病気が長かったので、人の顔色をうかがうのがクセになっている。この人は自分を受け入れてくれるだろうか。イヤな人ならどんな風に付き合えばいいのか。これは今考えてみると人の”気”を読もうとしているのではないかと思う。

そんなわけで私は病人に好かれることが多い。特に慢性病を抱えている人と気が近いのかもしれない。これは患者を診る上でいいことではないかと考えていたら、先日ある人にそれはダメだと言われた。相手と同じではいけないと。相手と同調するのではなく、自分がしっかり立って、相手に流されない気を持たなくてはならないのだと。
患者のどこが痛いのか、どこがどのように苦しいのか、どんな気持ちなのかわかる。しかし、相手に同調するのでは自分がまいってしまう。自分と相手の間に気持ちのいい気が流れるようにするにはどうすればいいか。そういう風に考えた方がいい。そういう意味で今先生の話はいつも、患者さんとの間に、いかにして「イイ気を流しあえるか=気持ち良くなれるか」ということを語っているように思う。

今回の講習会で受講者の方から、触れられることさえいやがる患者さんに何をしてあげられるのかという話があった。その人はいつも患者さんに何をして上げられるか一生懸命考えているが、嫌がられ、その患者さんのところへ行くことが苦痛だという。
私がその患者だったら、やはり触れて欲しくないだろう。苦痛の頂点の状態のときには、その苦痛に耐えるのが精一杯で、ただ耐えることに意識を集中する。たとえ治療であってもその集中を乱されるのがいやなのだ。
それに対し今先生がおっしゃったのはこんなようなことだ。「嫌がることは何もしなければいい。ただ黙って顔を見ていればいい。どんな治療もせず、何も話さず、相手が許してくれるなら手を握っていてもいい。自分が楽しくなることを考えながら座っていればいい」

病人は他人の気に敏感だ。相手が嫌がっていれば、たとえ相手が笑顔でいてもわかる。相手の一生懸命な感情が重くてつらいこともある。弱っているときに夏の太陽を浴びるようなものだ。こちらがよかれとしてやってたことで相手は衰弱することがある。大切なのはお互いに気持ち良くなること。その患者さんと何も話さなくてもイイ気持ちになれたら、それはお互いに幸せなのではないだろうか。

施術者は患者を「治す」のではない。本人が治る気になれば勝手に治る。本当の意味での治療とは相手に「治る気持ちにさせる」ことなのかもしれない。操体や他の治療技術はそのための手段に過ぎない。今先生の話を聞いていると、そういうことを伝えたいのではないかと感じるのだ。
私は今、治療技術を身につける時期にある。医学の基礎理論を知り、様々な手技を知り、あとは臨床で患者さんに教えてもらう。自分が患者として過ごした時間がどのように活き、どのように障害になるのか、そして「患者が勝手に治っていく」という実感は70歳になるころにはわかるかもしれない。年を取るのが楽しみだ。

 今回は直後に試験があったので、ホントはもっと書きたいことがあったのですがどっかに抜けていってしまいました。そこにいた人だけで独占するのはもったいない話がたくさんあるんです。もっといろんな人に伝えたい。そう思ってこの稚拙な文を書いています。他の受講者の方も原稿など寄せていただければ幸いです。異論・反論楽しみにしています。


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