温古堂の丁稚奉公も2〜3ヶ月したころだったと思うが、私は初めて翁先生に操法をしてもらう時が来た。
「せんせぇ、首痛めたみたいなんですけどォ、診てもらえますかぁ」
とお願いして、その事件は始まった。
私はベットに仰向けに寝た。
翁先生は最初首の後ろを触診した。
手を感じさせない手だった。
柔らかくってつるつるしてて、あったかかった。
そしてすぐに
「ここだなぁ」
と左の首のコリを押し当てた。
一瞬の出来事だった。
くりくり探したりして見つけたのではなく、手が来たところにこりがあった。
といった感じだった。
そして、足の方に移動して、有名な膝裏の圧痛の触診となる。
これもやはり、もみもみ探ってこりを見つけるのではなく、あっという間にピッとぐぐっと
「いてててぇー」
となった。
左が痛かった。
こんなのを職人芸というのだろうか。
とにかくびっくりしたものだった。
びっくりしただけで、コリが消えることは後で知った。
葉っぱに触れただけでも消えた。
まるさんもいろんな実験して遊んでいるけど、原始感覚の快感を味わえば消えるようにできていると言うことらしい。
翁先生は、うむを言わさず私の足の指をスネの方に上げ、
「こうやって、上げてぇー」
と導く。
つま先が上がってくると、その足の甲に手を置いて
「カカトふんでぇ、気持ちのいいように、体中ぜんぶ動いていいから、
・・・・・・はいストン」
と誘導した。
翁先生の手の抵抗は絶妙だった。
気持ちが良かったと言ってしまえばそれまでだが、あえてそれをきめ細かく表現してみたい。
まず、足の甲に手が乗っかっているときの感覚は、
手ではない何かあったかくてやわらかいものが甲全体を包み込んでまとわりついてくるような感覚だった。
そして、その感覚に引きずられるかのように全身が連動してしまうのだ。
もし第三者がこの現場を見ていて、翁先生の抵抗を真似してやってみたとしたら、きっとかなり重く強くかけてしまうだろう。
だからといって、弱くかければいいということではない。
弱いと連動できなくなるし、強ければ力んでしまう。
その人の気持ちよさに合わせてかけるのが抵抗の極意なのだ。
翁先生は抵抗するときもそうだったが、それ以前から、ただいるだけでも気持ちのいい「場」を生み出していた。
無意識にそうなったのだろう。
さて、翁先生の抵抗をさらにひもどいてみることにする。
翁先生の抵抗は第三者が見て真似ると、かなり重く強くかけてしまうだろう。
と前記した。
なぜそう思ってしまうのか。
それは、翁先生自身がからだまるごとで気持ちよく動き、その全身で抵抗をかけていたから、そう見えてしまうのだろう。
つまり、きっと、たぶん、抵抗をかける人がまるごとの気持ちよさを味わいながら抵抗すれば、あくびがうつるように、患者さんに気持ちよさがうつるのだ。
これが抵抗の極意2。
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