操体掲示板・過去ログ

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操体掲示板過去ログ 401〜500

タイトル: Re:感じる感じ
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/07 20:
紗夢>
>ちょっと社会参加すると緊張が起こって
>「アタマで考える」になってしまっていたりします。
>
>実は、今日がそうなんですが、そうなると「感じる」が
>出来ない自分 を感じています。


   「感じる」が出来ない自分 を 「感じ」ている。


この言葉、含蓄がありますよね。  (^^) いいね〜。


きっと、紗夢さんの中に <「感じる」が うまく出来ている状態 >
っていう「うまくいっていると思われた時」の記憶(イメージ)が
あるんですね。

「それ」を 理想(目的)に しちゃってたとこ、あるかも。
だから、そうじゃない状態にあると、


   どして いま、そうじゃない の?
   あの状態のほうが きもちいいのにぃ。


とか、そういう風な気分(考え)が ちらり と出てくる。


でも、それを 感じられている。

いま「ない」いい感じ  より、 いま「ある」考え を
感じ取ることが出来ている。

それで いいんだと思います。




今回の 紗夢さん、「ただ感じる」を「想」に 向けてたんですね。


    もう、どれが「ただ感じる操体」で どれが「想の操体」で
    どれが「かわの 操体」なのか、わかんなくなって来た。

    もー、なんでもいいし。             (^^;;


でも そやって、いろいろ「試し」てみて、「発見」出来て、
「わかってくる」って たのしいでしょ。

         翁せんせが 大好きな「ヤジウマ根性」。
.
タイトル: Re:俗物人間は?
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/07 21:
> > このサイト リンク集をつくるなら ぜひ 入れたい。
>
> HPに入れておきました。
> ついでにNo.273までだった過去ログも300まで入れて。

ごくろサマでっす。 (^^)   >プルさん
.
タイトル: Re:すごいすごい!  歯の影響
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/08 18:
たまには 「治す」話も

>実は「治した」だったのか。
>う〜む、スゴイ。
>
>>     「ひどく鈍っている」ときに、どうやって 感覚が「ある」状態 に
>>     持っていけるのか、という 技術的なレベルの おはなしです。


>>知りたい?  (^^)
>
>もちろん!(^-^)


  と、この辺のお話しに戻ってみましょう。


感覚がひどく鈍っている時は どっちに動かしても 具合が悪い。
かわを色々と動かしても キモチよくも悪くもない。
「圧痛点」も うまく検出できない。かなり強く押しても 痛くない。
触っても 他人の体のような気がする・・ という、こんな状態は
けっこう、あります。

感覚が「ある」ところから入っていって 気持ちいいことをしていくと
体全体のバランスが取れて「鈍感さ」も消えちゃう っていうような場合
は 問題ないんですが、なにをやってもどうしても ニブイ ときもある。


そういう時は そのあたりの皮膚を チクチクと つまんでみます。
出来るだけ 薄くつまむ方がいいです。
でも 鈍いところは たいていは 皮膚が貼り付いたようになっていて
つまみにくい。( 分厚くなっているときもある。)

それでも ダメなら ちょいと強く つまみます。

しばらくやっていると、いきなり 感覚が出現します。 


  め、(^^;(^^;(^^; めちゃくちゃ、痛い (^^;(^^;(^^;(^^;(^^;


しばらくつまんでも 感覚が出ないときは 
少し あいだをおいて(休憩して)もう一度つまむと
いつの間にか、 感覚が出てきていること も よくあります。

それでも まだ 感覚が出ない人 や、 貼りついていて「つまめない
ような場合は 手のひら や 指で ゴシゴシ擦ります。
やりすぎると 擦ったところと自分の手が 火傷 しますので これを
やる時は やすみ やすみ やってください。


皮膚をつまんで、一回、「痛てて・・」と 叫ぶと、 その後は
なにをやっても 感覚がわかります。


「圧痛」 や、「触った感覚」も たいていは わかるようになっています。


     【「感覚」が「ある」】状態 になったら、
     改めて 動診でも 操体でも 圧痛操体でも 皮の操体でも
     按摩でも、なんでもやってみてください。


                      バッチリですぜ。旦那。


     治療技術 に関係する事を書いたのは 掲示板始まって以来
     はじめて  かも。  (^^;


     この <かわつまみ> は 「治療の場」では 応用範囲がとっても
     広いのですが、 ここ、治療家の方の反応があまりないので
     今回限りの話題 で終わってしまうような 気もする。  (^^;


     反応があるようなら、また、書きこみますけど。
.
タイトル: Re:俗物人間は?
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/09 17:
プル>
>この"マ"がね、「ひとりで操体」する時になかなか生まれにくいんで
>すよ。(^^;
>で、「ひとりで操体」の時は、取り敢えず「治す」ことは脇に置いと
>いて、ひとまず マ を置いて、ただ感じてみてわ。


        そうそうそう。 そのとおり。



  ひとりで操体するときは  マ を取れるかどうか が すごく
  大きなポイントになって来ます。


  動いてみて ・・・・・・・・・ マ をとる。

  反対方向に動いてみて・・・・・ マ をとる。

     それも、「 あれ? いま やってるの、なんだっけ??」
     と 忘れちゃいそうになるような、たっぷりと マ を取っ
     てください。


     で、その マ を取っている間は 「全身を 感じている」
     という心もち で 体そのものを 味わっててください。



で、脱力したら・・・・・・・・・・ マ をとる。

     一応、「楽な動き」「気持ちいい動き」が わかった、と
     仮定しての話ではあるんですが (^^;


     瞬間脱力 って 言うけれど、 ほんとに 全身の 隅々
     にいたるまで すっかりチカラが抜けるのには 一分間
     くらいはかかりますよね。


     すこん! と チカラを抜いて、 その「抜け」の 感じが
     ふにゃららら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぁぁ〜〜〜
     っと 全身の隅々まで それも「かわ」にまで浸みわたって
     いくのを  ただ感じている ってカンジです。
.
タイトル: Re:403  ご注意
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/09 17:
> それでも まだ 感覚が出ない人 や、 貼りついていて「つまめない
> ような場合は 手のひら や 指で ゴシゴシ擦ります。
> やりすぎると 擦ったところと自分の手が 火傷 しますので これを
> やる時は やすみ やすみ やってください。

     これは ほんとに 正真正銘の ヤケド です。

      水ぶくれが 出来ちゃいます。   (^^;
.
タイトル: 顔の皮
名 前 : 烏賊 Mail
日 時 : 2001/05/09 17:
私は目を使う仕事が多いせいか
右目の外側〜こめかみにかけて
皮をさするとぴりぴりします。
皮の操体の話を読んでから、良く揉んでというか動かして
いるのですが、
いつもぴりぴりしています。
.
タイトル: Re:顔の皮
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/10 20:
さすると ぴりぴりするところ・・・かぁ。

自分の体で探してみたけど、今は どこにもないなあ。(残念)(^^)


操体の[動診]で 動きの違いが感じわけにくい場合などに

最大圧痛点を押さえておいて 圧痛が消えるような動きを見つけて
脱力する操法がありますよね。

ただ、プロはともかく、普通の人が[最大圧痛点]をみつけるのは
むつかしい。


そこで 操体法の「圧痛点操法」の 「かわ」バージョン とも
言えるもの(<つまみ痛>そうたい?)を紹介します。

(初心者は この方が みつけやすい)

あちこち、ちくちくと <かわ>をつまんで 痛いところを見つけます。
これは <もともと痛みを感じているところ>であるとは 限りません。

こめかみ が さすってぴりぴり しているからと言って
そこが 一番(つまんでみて)痛い かどうか は やってみないと
わかりません。

      自分では「何ともないと」思っているところ、や
      痛くない <鈍い> と思っていたところ に 意外と
      あったりする。


もの凄く痛いところが 見つかったら そのまま つまんで 捕まえ
ておいて(もらって)、
全身をゆっくり動かして 痛みの消える姿勢 を探してみてください。


      なんと <痛み> が消えてしまう姿勢  があるんですね。

      「つまみ」が強すぎると 痛すぎて動けないので 注意。


<つまんだところ> そのものが 動いちゃうと痛い事が多いので
このときの「逃げる」動きは からだの全然別のところ から始まる
動きになることが多いです。


      例えば 腕なんかで <つまみ痛> を 作っておいて
      「逃げる」場合、たいていは 下半身で逃げるよう
      な動きから始まるんじゃないかと思います。

      逆に、脚の皮で <つまみ痛> を 作る場合は、
      上半身から逃げ始める とか。


「皮をつままれた痛み」が 消える格好(全身のかたち)が見つかった
ら、そのまま とどまります。


5〜6秒そのカタチにとどまったら、 脱力して きゅうけい。


<かわ感覚> で動く場合、 瞬間脱力 である必要は ないみたいです。

       瞬間脱力のほうが いいのかもしれませんが、
       別に こだわらなくてもいい、っていうか・・

       つまんでいる指を 完全に離してから「きゅうけい」
       に入ったほうが、うまくリラックス出来るようですが。


同じところを つまんでみて <つまみ痛>が 軽減しておればOK。


       こんなので 「からだ」が どう変わるか、って?

       ま、 やってみて ください。(一人ででも 出来る? と思う)

       で、なんか、発見があったら 報告してくださいね。 (^^;;;
.
タイトル: ちょい
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/12 00:
UP待ち・・・  



        ・・・・・・ ちょい、ひま。 (^^;
.
タイトル:
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/16 13:
バランス、アンバランス っていうのは 言葉(概念)
すなわち、 「想」 ですよね。

操体で 体を治そう、元気になりたい・・・ というのも
実は 「想」 なんですよね。

                       (^^)
.
タイトル: 掲示板?
名 前 : くわまん Mail
日 時 : 2001/05/16 13:
私、北海道のダメ整体師(20)です。よろしくお願いします。操体法好きです。
この掲示板に参加してる人レベル高そうですね。「もう悟ってる」。みたいな。私,まだまだ煩悩坊やですが、ひとつ訊いても良いですか。

北海道で操体法で治療されている方っていないんでしょうか。全然情報なくて。教えてくださいな。
.
タイトル: Re:掲示板?
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/16 18:
くわまんさん、こんにちは。 

いちおう、 主幹  の  まるです。


             ひさびさの 書きこみ。 うれしい。(^^)


なのに 応えられない・・・  北海道の操体家 ですか・・・  (^^;;

この掲示板覗いているヒトで おられたら、是非 書き込んで
ください。(こんなひと、知ってるよ〜。 でもいいし。)


あと、 プルさんが復帰して来たら(いま PCの再セットアップ中)
教えてくれるかもしれないです。名簿持ってみたいだし。 

             十数年前のものらしいですけど。(^^;;;

              
.
タイトル: 掲示板では、はじめまして!
名 前 : maki URL
日 時 : 2001/05/17 00:
ナチュラルトリートです。こんにちは。
いつもお世話になっております。
GWはいかがでしたか。
今度、絶対伺いますのでよろしくお願いいたします。
腰と肩がつらいのですー。情けないです(/_;)

ところで、勝手にリンクさせていただきました。よろしかったですか?一応ご報告いたします。不都合な点等、何かありましたらご連絡くださいませ。
.
タイトル: Re:掲示板では、はじめまして!
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/17 19:
makiさん (ホントに)はじめまして。 内容管理人の まる です。 

器-管理人 プルさんの お知りあい と お見受けしました。(でしょ?)
今 プルさん、 出られないんですよね。OSの再インストール中で。
バックアップのレストアかなんかで 苦労してるんじゃないでしょうか。

                         (たぶん)

さっそく ナチュラルトリートのサイト 行って来ました。
足のリフレクソロジー の 専門家なんですね。
英国式 って、どんな特徴があるんだろ。(また、じっくり
覗かせてもらいます。)

掲示板も ちょい覗かせてもらいましたが、みなさん、けっこう
指を酷使されてるようで。 (^^;

ひととおりの 話題は ひと巡り したような気がしてたん
       ですが、そういえば 操体法 には、「体の使い方」という
       側面がありましたよねぇ。

       ここで まだ、 ぜんぜん やってない。 (^^;


共通の問題点や話題は いくらでもあるはずなので ここでも
いろいろ 遊んでってください。 ぜひ。
.
タイトル: Re:掲示板?
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/17 21:
> 北海道で操体法で治療されている方っていないんでしょうか。
>全然情報なくて。教えてくださいな。

   検索かけて いろいろ 覗いてみてるんですが。

   うう・・・  出てこない・・・  (^^;;
.
タイトル: Re:掲示板?
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/17 21:
ひとつ みっけました。 (^^)

北海道上川郡当麻町にある「自然耕房ホタルファーム」

  http://www.h2.dion.ne.jp/~hotaru-f/home.htm

操体 やってるひと いるみたいです。
.
タイトル: Re:掲示板では、はじめまして!
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/05/18 13:
> 器-管理人 プルさんの お知りあい と お見受けしました。(でしょ?)

はじめまして、mikiさん。(^^)/
再インストールもなんとか終わった、器-管理人 プルです。

という訳で、ぼくも はじめまして なんです。

いんちょさんや、ふくいんちょさんのお知り合い、かな。
何はともあれ、気軽に書き込んで遊んで行って下さいねえ。


> 今 プルさん、 出られないんですよね。OSの再インストール中で。
> バックアップのレストアかなんかで 苦労してるんじゃないでしょうか。

意外と苦労してます。(^^;
入れ直さなきゃいけないものがけっこうあって。

で、自分のHPも作り直そうかと手を付け始めたら……。
散らかった部屋の真ん中で、ぼ〜然とまわりを見回すだけ、って感じ。(^^;

さて、腰を上げて整理し始めるとするか。
.
タイトル: Re:掲示板?
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/05/18 13:
はじめまして、くわまんさん。

> 北海道で操体法で治療されている方っていないんでしょうか。全然情報なくて。
>教えてくださいな。

北海道はどのあたりですか?
って聞いても、実は心当たりはないのですが。(^^;

> あと、 プルさんが復帰して来たら(いま PCの再セットアップ中)
> 教えてくれるかもしれないです。名簿持ってみたいだし。 
>
>              十数年前のものらしいですけど。(^^;;;

思いっ切り昔の名簿。(^^;;
実は「らくらく操体法」の前半の著者に、その名簿で掲載許可打診の手紙を
出したら、、、やっぱり「宛先不明」で帰ってきました。

>    検索かけて いろいろ 覗いてみてるんですが。
>
>    うう・・・  出てこない・・・  (^^;;

おぉ、検索という手がありましたね。(^^)

という訳で、思いっきり昔の名簿を元に検索かけてみました。
って、当時の名簿に北海道は3件しかないんですけど。(^^;

その中で一件だけありました。
函館。
http://www.jusei.or.jp/OPEN/LIST/hakodate.html
上の柔道整復師会の名簿の中の「松本整骨院(函館)」が、当時の名簿にあった
ところです。
ここで操体を受けられるかどうかは不明ですが。(^^;
当時の「操体 soutai」っていう研究誌購読者名簿なもんで。

くわまんさんの最寄りでしたら、上記のページにある連絡先に問い合わせてみて
下さい。
.
タイトル: 間違えた(^^ゞ
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/05/18 13:
> はじめまして、mikiさん。(^^)/

すみません。m(_ _)m

makiさんでした。(^^;ゞ
.
タイトル: こんにちは
名 前 : コミ研 URL
日 時 : 2001/05/19 14:
こんにちは
コミ研では、コミックメーカー作品のリストを作成しています。
こちらの作品を、リストに追加&リンクさせていただきましたので
ご連絡申し上げます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
.
タイトル: Re:こんにちは
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/20 11:
> こちらの作品を、リストに追加&リンクさせていただきましたので
> ご連絡申し上げます。
> どうぞよろしくお願い申し上げます。

作者のプルさんが いま 反応できないみたいなので
  代理です。
  
  こちらこそ よろしく。  (^^)
.
タイトル: サンクスです。
名 前 : くわまん Mail
日 時 : 2001/05/21 08:
みてみます。ところで、操体のホームはとても面白かったです。
この機会に感謝しておきます。
.
タイトル: Re:サンクスです。
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/21 18:
こんにちは。> くわまんさん

>ところで、操体のホームはとても面白かったです。


  でしょ。 (^^)


  この掲示板では 翁先生の出版された書物のなかで展開している
  「操体法」と、本に載っていない「その後の翁先生の思想」を中心に、
  とりあえず、 議論の材料 を 用意したつもりです。

  翁(橋本)先生の本の内容 を われわれが 「ああだこうだ」と
  いちゃもんをつけるのは <とても やりにくい> のではないかと
  思います。

  でも そういうの あんまりいい傾向とは いえない。
  翁先生の理論なり 人物なりが <神話> になってしまう。


  神話になってしまうと 流れとしては <宗教> の親戚になって
  しまって ただただ奉ったり 祭り上げたりすることになって
  結局は 操体 が 死んでしまいます。

  かと言って、みんなが 自分流をあみだして 好き勝手に
  「これこそが操体です」とは いえないし。

  だから 意見を出し合う とか、 感想をだしあう とか、
  なんか そういう 交流がないと、結局は 数人の名人を生む
  だけに 終わってしまうような気がします。



  ほんの数人でも 名人が生まれて 操体を発展させてくれれば
  それはそれで いい し、
  操体的な発想をもつ  医師なり治療家なりが 育ってくれば
  それはそれで いい とも言えますが。


          ただ、単なる「才能の世界」というのであれば、
          「操体」である必要は 全然ないのですよ。

          「つらい」「痛い」が 治りさえすれば
          なんでも(操体でなくても)いい
          ということになってしまいます。


  生きている限り「誰でも」もっている「感覚」をたよりに
  からだの「かしこさ」を 発見し、育てていくこと。

  その過程 のなかで、 生き物としての「自信」を 取り戻し
  ていくこと。


       そういうトコロが 操体の魅力なんではないでしょうか。



  という意味をこめて 「意見の出しあいっこ」が 大切です。


  

  僕の方から 提出できるのは 今のところ これくらい。 (^^)

  さて、ここから後は 皆さんの中の 「操体」 を、出して欲しい。


                  質問でも、疑問でも なんでも。

(^^)
.
タイトル: Re:サンクスです。
名 前 : くわまん
日 時 : 2001/05/22 17:
>   生きている限り「誰でも」もっている「感覚」をたよりに
>   からだの「かしこさ」を 発見し、育てていくこと。
>
>   その過程 のなかで、 生き物としての「自信」を 取り戻し
>   ていくこと。

なるほど。これが、操体ってわけですね。なんか「健全な感じ」
がしますね。民間療術にありがちな,あの「不健全」はないですね。

ところで,僕が操体を知ったのはちょうど1年前くらいです。整体の学校入学する前に知っていたのに・・・。(まだ若かったか!)

途中で嫌気がさして、整体はやってなかったんですよね。整体って言っても、ダメマッサージですけど。1年くらいバイトしてたんですけど,「あーヤダヤダ」って感じです。

家のばあさん(75)はガンで5箇所転移しましたが、いまだ生きています。ここ2.3年は脳梗塞も3回やって、すっかり自信喪失してましたが,操体に出会って完全復活しました。

リンパマッサージ・鍼・病院に毎週通って、「これだけやってるから、ナントか持ってる」といつも言っていました。マッサージの先生も、「週1回やってるから、あなたはナントか持ってるんですよ」なんて言って。」その先生がいなかったらどうなるんでしょ。なんか「不健全」な依存関係。

操体を薦めても「元気な人ならいいけど、私は特別な体だから!」。自分の体の「感覚」を捨てとるんですね,もう。でも、孫の立場で徹底討論して、毎日やらせたら変わる、変わる、体、大改造でした。自分の体に「自信」を持ち始めました。今は、近所のばあさん相手に操体普及してます。

正直、操体って面白い!て感じです。でも、僕も本見てやってるだけだから、正しいんだか,間違ってるんだか,誰かに教えてもらうべきなんでしょうね?(みんな、ooo先生に師事とか書いてるけど)

建前では、「教えてもらうもんじゃぁない」と思うんですけど。どうなんですか?

すみません。長くなりましたけど,意味わかります?
.
タイトル: Re:サンクスです。
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/22 18:
>マッサージの先生も、「週1回やってるから、あなたはナントか持ってるんですよ」
>なんて言って。その先生がいなかったらどうなるんでしょ。
>なんか「不健全」な依存関係。

    「依存」は 生命力を 自ら捨てているようなものじゃないでしょうか。

    「依存」を促進させる っていう仕事は 治療家のやる仕事じゃなくて
     いんちき占い師とか、似非宗教の教祖とかの 仕事です。(^^;

     「不安」を作り出しておいて 「安心」を売る・・
     「毒」を撒いておいて   「解毒剤」を売る・・
     「問題」を作っておいて   「解決」を売る・・

                          (もう わかったて) (^^;;


     いわゆる「需要を創出する」という、 末期の資本主義の 生き残り戦略
     とも言えるけど。(医者でも やってるもんね。最近は。)



>正直、操体って面白い!て感じです。でも、僕も本見てやってるだけだから、
>正しいんだか,間違ってるんだか,誰かに教えてもらうべきなんでしょうね?
>(みんな、ooo先生に師事とか書いてるけど)
>建前では、「教えてもらうもんじゃぁない」と思うんですけど。どうなんですか?
>すみません。長くなりましたけど,意味わかります?


     わかりますよ。 おもいっきり。 


「操体」 に 「正しい」も「間違ってる」も ありませんもの。

    「気持ちいい」か「気持ち悪いか」 は ありますけど。


                        てゆうか、これしか ない。 (^^)キッパリ!


師事するかしないか は まあ どっちでもいいんじゃあ ないでしょうか。
.
タイトル: ワタシもそう思う
名 前 : 紗夢 Mail URL
日 時 : 2001/05/22 22:
お久しぶりです

くわまんさんの書かはった
>マッサージの先生も、「週1回やってるから、あなたはナントか持ってるんですよ」
>なんて言って。その先生がいなかったらどうなるんでしょ。
>なんか「不健全」な依存関係。

ワタシも長いこと鍼灸行ってましたが、まるさんの治療を受ける
ようになってから、なんかチガウぞ ぜんぜんチガウぞ と
思う様になりました。

自分でなおる のと 依存で持たせてもらってる と思うのとでは
自分自身が健全に思える ほうが 絶対 いい!
自分で治れる ほうが 絶対 いい!

そういうふうに まるさんは 導いてくれてはります。
いかんせん 出来のワルイ患者なもんで
ノドモトスギレバアツサワスレル を よくやっていますが。
とほほ_(._.)_です。
.
タイトル: Re:サンクスです。
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/22 22:
   くわまん>

   > 私、北海道のダメ整体師 です。

   >自分の体の「感覚」を捨てとるんですね,もう。
   >でも、孫の立場で徹底討論して、毎日やらせたら変わる、変わる、
   >体、大改造でした。 自分の体に「自信」を持ち始めました。

これわ スゴイ。

くわまんさん、自分で言ってるんだから、「ダメ整体師」なんでしょうね。たぶん。

でも、師につくまでもなく、すでに「名操体家」であったりする。

                       ホントにそう思います。 (^^)
.
タイトル: 整体はやだな・・・の話
名 前 : くわまん
日 時 : 2001/05/23 09:
操体に関わってる人は,雰囲気が違いますよ。「操体」を選ぶってよりむしろ「操体」に選ばれるってのがあるんじゃないですかね。

整体時代、バイトしてたホテルでお客さんが言うんですね,「俺さぁ第4、第5腰椎がずれててさぁ」とか「頚椎の7番8番が・・・」。とにかく、そればっかり。

そしたら研修中の同僚は、思いっきり「知ったか」こいて、「それはですね、重いもの持ちすぎですね」とか適当なことを大まじめの顔で言ってるんですね。そしたらお客さんも「やっぱりね」。・・・・。

なんすか、それ。「あんた、まだ生徒でしょ、しかも2ヶ月でしょ」と突っ込みたくてたまらんくなります。

それで、お客さんが私にそんなことを言ってきたら、「へぇ、そうですか。大変ですね。」ということにしてました。不満そうでしたが。

整体は嫌。操体好きです。わかりますか?この感じ。

ところで、ひとつ質問があるんですけど。じつは、北海道札幌で操体法やってる人のところに一回行ったことがあるんですが,母親の50肩の治療を見学させてもらいました。治療は「操体法の実際」の実技だったんですが,帰りがけに先生が一言。

「私も50肩になって苦しくて,真向法で治しました。」といって、真向法を教えてくれたんですが。正直、「操体」じゃだめなの?と思っちゃいました。

操体と真向法は逆じゃないですか。反作用で可動域が広がるって言うやつ。それでなんかなぁと思ってるんですが。どう思います?
.
タイトル: ストレッチとか好きです
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/05/23 17:
> 整体時代、バイトしてたホテルでお客さんが言うんですね,「俺さぁ第4、第5腰椎
>がずれててさぁ」とか「頚椎の7番8番が・・・」。とにかく、そればっかり。
>
> そしたら研修中の同僚は、思いっきり「知ったか」こいて、「それはですね、重いも
>の持ちすぎですね」とか適当なことを大まじめの顔で言ってるんですね。そしたらお客
>さんも「やっぱりね」。・・・・。

うははは。
按摩さんやってると、こゆ質問、よくあります。

みんな、どこかで納得したいんですよね、きっと。
自分の病気や痛みや不具合の。

確かに状況によっては、感覚から出た答えが、患者さんのからだに届くこともあ
るけれど。

アタマからの質問に、アタマからの答えでは、世間話と一緒だったりして。(^^;

> それで、お客さんが私にそんなことを言ってきたら、「へぇ、そうですか。大変です
>ね。」ということにしてました。不満そうでしたが。
>
> 整体は嫌。操体好きです。わかりますか?この感じ。

はい、たぶん。(^^)

ある固定した理論からだけ人間のからだを見る方法、というのは確かに、嫌。
あるひとつの仮説として、それを、からだに照らして見るのは好きだけど。

> 「私も50肩になって苦しくて,真向法で治しました。」といって、真向法を教えてく
>れたんですが。正直、「操体」じゃだめなの?と思っちゃいました。
>
> 操体と真向法は逆じゃないですか。反作用で可動域が広がるって言うやつ。それでな
>んかなぁと思ってるんですが。どう思います?

ぼく、真向法、お気に入りです。(*^^*ゞ

何であれ、カタチ、道具、は、使い方次第じゃないかと思います。

感覚がボケボケしてる時。
そゆ時、真向法やストレッチのような、つっぱり感や軽い痛みを生じさせるのは、
感覚を蘇らせる、ひとつのよい手段じゃないかな、と思います。
「痛みから逃げる」と通じるような。

実際、真向法をやって、ある姿勢でじわ〜っとからだを味わっていると。
ツッパリ感や軽い痛みとともに、その、抑圧的な姿勢から解き放たれたい衝動とい
うか、無性に「伸びたいっ!」っていうからだの感覚が、ジワジワ浮かび上がって
来ます。

その抑圧的な姿勢の中で、アッチにむぎゅーっ、コッチにむぎゅーっ、っとひとし
きり伸びをしていると、伸びとともに出るアクビで顔は涙まみれ。(^^;

終わると、からだはすっきり爽やか。
感覚も拡がってますよ。

ぼく的にはお勧めなのですが。
.
タイトル: Re:整体はやだな・・・の話
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/23 18:
>「俺さぁ第4、第5腰椎がずれててさぁ」とか「頚椎の7番8番が・・・」。
> とにかく、そればっかり。


      (^^;


> そしたら研修中の同僚は、思いっきり「知ったか」こいて、
>「それはですね、重いもの持ちすぎですね」とか適当なことを大まじめの
> 顔で言ってるんですね。そしたらお客さんも「やっぱりね」。・・・・。


    人間 って、今 起こっていること を <納めておく>ことのできる
   「ものがたり」あるいは「神話」が どうしても欲しいらしいです。

    背骨がズレてる。 背骨が歪んでいる。 だから、体調が悪い。
    というのは 最近流行りの 「ものがたり」のひとつのようです。


                     「操体」も 初期はそうだったし、
                      今だに そう思っているヒトは
                      いるようですよ。


    そのヒトが欲しいのは 同情じゃなくって、
   「ものがたり」の補強(=他人の同意)のほうなのでしょう。



> それで、お客さんが私にそんなことを言ってきたら、
>「へぇ、そうですか。大変ですね。」ということにしてました。
> 不満そうでしたが。

     おおげさに聞こえるかもしれませんが

    「背骨がずれてて 調子が悪い」という 自分の「身体観」を
     肯定してくれないヒト って、自分の「世界観」を肯定して
     くれないヒトでもある。

     どんな「身体観」であっても そのひとなりの「世界観」に
     含まれるカタチでしか 存在し得ないものですから。


               「歪んで助かっているですよ。」 なんて
                言ったら、どんな顔 されるんでしょ。



> 整体は嫌。操体好きです。わかりますか?この感じ。

    くわまんさん にとっての「整体」というものが どういうものなのか。
    この目で見てないので なんとも・・・ (^^;;

    按摩(屋)です。 っていいながら、とても 操体的なひともいるし。

               早い話が、「整体」って 知らないんですよね。ワタシ。
               (^^;;; スミマセン。

    操体が好き っていう気分は、 単純にわかりますよ。(ぼくも好きだし。)



> 帰りがけに先生が一言。
>「私も50肩になって苦しくて,真向法で治しました。」といって、真向法を
> 教えてくれたんですが。正直、「操体」じゃだめなの?と思っちゃいました。

    うわははは。 (^^; お、おもしろいセンセ。

    自分の体を 操体的には 扱えなかったんですね。

    そのセンセにとっては、操体も もろもろの「治療テクニック」
    の中の ひとつ なのでしょう。



> 操体と真向法は逆じゃないですか。反作用で可動域が広がるって言うやつ。
> それでなんかなぁと思ってるんですが。どう思います?

ここには、 自分でできる操体 の ヒントが含まれていると思います。

    腕を 無理に痛いほうに動かして・・ というカタチの体操(関節可動域訓練)
    であれば  直接的な逃げる動き=反作用 云々という話が 成り立つ とは
    思いますけど。

    真向法で動かしているのは 腕ではないし。

    真向法 っていうのは、チベット仏教の礼拝のカタチから ヒントを得
    て作られた 股関節 を中心とした ストレッチ系の体操 ですよね。


    アンバランスな体の股関節を 可動の限界まで動かして ギリギリの
    ストレッチ状態で固定する と、そこには 「感覚」 が出現します。

    これは、バランスを求める「逃げる」への 要求感覚 でもある。


                  ・・というあたりの事情は プルさんの文章
                  の方が わかりやすいと 思います。 (^^;


    あとは 放っておいても(眠っていても) 体は勝手に 操体をやっている、
    あるいは やりたくなる はずです。


    もし、「胴体のカタチ」 を きっちり指導しないような「いいかげん」な
    自己流真向法なのであれば、 ポーズを作っている時に すでに 胴体は
    逃げてネジレたり、曲がったりしているかもしれません。

                   その場合は 真向法というより、操体法
                   そのものです。(プル流真向法とゆーか・・)

                   そのセンセのも、こちらに近いかな。
                   という気もしますが。(^^;
    
.
タイトル: 勉強会
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/23 21:
ただいま、京都そうたい勉強会 の最中です。

PCの 勉強会になっています。 (^^;
.
タイトル: Re:ストレッチとか好きです
名 前 : くわまん
日 時 : 2001/05/24 14:
> 終わると、からだはすっきり爽やか。
> 感覚も拡がってますよ。

僕もしばらく真向法・ストレッチやってました。しばらくしたら、体がぐんぐん柔らかくなっておもしろいんですね。痛みも気持ちいくらいな。

古本屋で見つけた本ですが,「私が見つけた名治療家32人」遠藤周作(1986)祥伝社 のなかで、遠藤周作と橋本先生が真向法について会話しているところがあるんですね。ちょっと引用します。

遠藤:私は友達に教えてもらって,ひざを床にぴたっとつける真向法をやってみたことがあるんです。あれ、かなり痛いものですね。ああいう痛い方法も先生のお考えですと、自然に反することになりますか。

橋本:いや,反してはおりますけども、あれも可能性はあります。なぜかというと、体を、痛い、ひどい目に遭わせるでしょう。そうすると、体そのものは、その痛みから逃げるんですよ。その逃げるベクトルが、操体法のように、はじめから逃げたのと同じベクトルになっているんです。そのかわり、それを達成するためには、繰り返す。時間がかかる、痛みをがまんするの3つがデメリットになるわけです。

としますと、真向法で続けて気持ち良くなった場合、操体のように最初から逃げても同じような体になることが出来るということですよね。私の場合、どっちかというとストレッチは快いですが、操体は「きくぅ」という実感はないなっと言う感じなんですが。

先達のかた、どういう感じですか。
すみません,また長くなりましたが、ずっと疑問だったことなんです。
.
タイトル: Re:ストレッチとか好きです
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/24 18:
>橋本:そのかわり、それを達成するためには、繰り返す。時間がかかる、
>痛みをがまんするの3つがデメリットになるわけです。

>としますと、真向法で続けて気持ち良くなった場合、操体のように最初
>から逃げても同じような体になることが出来るということですよね。
>私の場合、どっちかというとストレッチは快いですが、操体は「きくぅ」
>という実感はないなっと言う感じなんですが。


     その通りなんじゃ ないですか。

     ストレッチは 「きくう」という感覚がありますが
     操体は あんまし、ない。

     だから、翁(橋本)先生の言う 3つのデメリットを
     嫌がらないヒトで、ストレッチの方が気持ちいい・・
     という場合は、それでいいんだと おもいます。

     「痛いのも実感があっていいな。気持ちいいし。」
     「それに 治るの、そんなに急がないし。」
     「毎日やるの、て、別に苦にならないし。」

     ・・・・というヒトは 真向法が向いているのでは?



「操体法」 を 「方法(治病システム)」として捉えてしまうと、
「あれと、これ。どちらの方法ががいいのか」という考えが出てきて
しまうんですが、 僕はそのような捕らえ方は もったいないな と
感じてしまいます。

「操体」というのは 「からだ」と「こころ」と「せかい」とを、
「自分の感覚」に引き受けて 読み解いていく為の 
ひとつの かなり大きな <文脈> のようなものです。


この <操体的視線> を 忘れさえしなければ
もし、真向法やストレッチ が適切でない状況が到来した時にも
躊躇なく切り替えることが出来るだろうし、
また、真向法が向いていないようなヒトに 無理やり押し付ける
というようなことも起こらないんじゃないか、って思います。


真向法 などの持っている可能性 は 「理屈」では
      翁先生の言うとおり「同じ結果をもたらす」はずなので
      すが、 実際、ストレッチで頑張りすぎて 体を壊して
      しまったヒトを 何人か見てきています。

           かなり綿密な観察眼を持った、かつ アタマが
           柔らかく 教条的でないタイプの 指導者 が
           必要でしょう。


      「同じこと」を するにしても、

      <頑張って、イヤイヤやる> のと
      <気持ちいいから やりたくなってやる> のと

      では 結果は 自ずから 違ってくるのでしょう。

      僕なども 繰り返し というのに 耐えられないタチ
      なので、「毎日やれ」ということになると てんで
      ダメです。   (^^;



ごてごてと 理屈っぽい事を書きましたが、


        「いいと思った事、なんでも やってミロ!」


 という 翁先生の言葉 が いちばん わかりやすいかもね。  (^^)
.
タイトル: かわの話と…
名 前 : ゆうひ Mail
日 時 : 2001/05/24 23:
初めまして。
時々みせてもらってて、思うことはたくさんあるけれど
うまく書けなくて、書いても送るのに失敗したりして。
で、今日の出来事だけひとつ。
患者さんが立てた膝を倒してストレッチのようなものをしていた時、
腰にぴったりと手を当てて動きに合わせて優しく助けたら
柔らかく動いて患者さんも気持ちいいって。
それだけのことなんですが、
以前にまるさんが言ってた
かわで介助する(?)というのをやっと今日少しわかったみたい。
それにこれ、私もちょっと気持ちいい。
操体まがいのことをやってても、
軽く力を入れてる時も抜く時も抜いた後も、
患者さんと一緒にああ気持ちいい、もういいや、
というのがたまにありますねえ。
結構これが好きです。
脈絡からずれてしまいそうですが、
又書かせて下さい。
.
タイトル: Re:ストレッチとか好きです:補足
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/24 23:
> 真向法 などの持っている可能性 は 「理屈」では
> 翁先生の言うとおり「同じ結果をもたらす」はずなので
> すが、 実際、ストレッチで頑張りすぎて 体を壊して
> しまったヒトを 何人か見てきています。


  ストレッチング を へんに怖がらせる事になっても 困る (^^;
  ので、ちょっと 補足しておきます。


  僕の知っている限りでは、この手の事故は ほとんどが 自宅で
  独りで(自己流?)やっていた時に 限られていて、

  マジメに膝を伸ばしての<前屈> か
  <開脚+前屈> のポーズ の時に、

  「びしっ」 と 音がして 膝(半月板)か 股関節(そけい靭帯?)
  の 損傷(断裂) を 起こしてしまう。というパターンです。


「きもちいい」 と 感じるヒト は、まず 心配はないと思います。

が、「がんばる」のが好きなタイプのヒト(この掲示板には 来てないだろけど)
とか、「きくぅ」が やたら好きなヒト とかは、やはり 専門のインストラクター
の指導を受けながらやったほうがいいのでわ? (^^; って
思います。
.
タイトル: Re:かわの話と…
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/25 00:
> 初めまして。

  ここ(掲示板)では 始めまして。 (^^)/ ですね。 >ゆうひ さん


> 時々みせてもらってて、思うことはたくさんあるけれど
> うまく書けなくて、書いても送るのに失敗したりして。

  んじゃ、送るの、今日が初成功。


> 患者さんが立てた膝を倒してストレッチのようなものをしていた時、
> 腰にぴったりと手を当てて動きに合わせて優しく助けたら
> 柔らかく動いて患者さんも気持ちいいって。
> それだけのことなんですが、
> 以前にまるさんが言ってた
> かわで介助する(?)というのをやっと今日少しわかったみたい。

  ストレッチの介助 を かわでやる・・・ と、筋肉のリキミ
  が伴わないので 実にのびやかに からだが動いていきます。

  これは 体が動かせないひとの 動作介助 にも 応用が利くの
  ではないか、って 思っているんですが・・・

  試してみる機会があったら また 報告してくださいね。


> それにこれ、私もちょっと気持ちいい。
> 操体まがいのことをやってても、
> 軽く力を入れてる時も抜く時も抜いた後も、
> 患者さんと一緒にああ気持ちいい、もういいや、
> というのがたまにありますねえ。
> 結構これが好きです。

  はは。 それって かわの操体 の特徴 みたいですよ。 (^^;

  自分もきもちよかったりすることが 多いみたい。


> 脈絡からずれてしまいそうですが、
> 又書かせて下さい。

  脈絡 は みんなで 作ってく もんです。

  なんでも 書いて。   (^^)!
.
タイトル: 町の按摩さん
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/28 17:
なにげなく プルさんとこ(町の按摩さんサイト)を
覗いてみました。

大工事中なんですね。 デザイン的にも なんか
あか抜けしてる。いいサイトになりそうな予感。

http://member.nifty.ne.jp/puruanma/
.
タイトル: そうたい[法]
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/28 19:
             みんな、あんまり書き込まないので ちょっと
             独り遊び・・・・。  覚書(メモ)を兼ねて。

             読み飛ばしてくださいね。いいかげんなものだし。

                                r(^^;


>「操体法」 を 「方法(治病システム)」として捉えてしまうと、
>「あれと、これ。どちらの方法ががいいのか」という考えが出てきて
> しまうんですが、 僕はそのような捕らえ方は もったいないな と
> 感じてしまいます。
>
>「操体」というのは 「からだ」と「こころ」と「せかい」とを、
>「自分の感覚」に引き受けて 読み解いていく為の  ひとつの
> かなり大きな <文脈> のようなものです。



「操体法」は その命名のこころ として 「カラダを操縦する自然法則」
というニュアンスがこめられていますが、もともとの成り立ちは 明らか
に  < 治病システム > そのものです。

ですから、< 治病システム >として捉えるのに なんら 問題はないはず。

ですが、< 治病システム >として捉える場合も、<法則>という概念は
大きな位置をしめています。


「自然の法則」という 考え は 西洋では イタリアルネッサンス以降、
ガリレオ・ガリレイが その出発点だ と言ってしまいましょう。

            ホントは アリストテレスまで遡らなければ
            ならないらしいんですが。 ま、この際。(^^;

            東洋では やはり 仏教で言う 法(=ダルマ)
            が思い浮かびます。<空> の働きを司る <法> を
            発見したのが 仏陀などの人々でした。


自然界を支配する 法(law)を 見出すために 「あるがまま」 を
緻密に観察する・・・という姿勢。


             これが、操体法の発見につながった、
             帰納法的な 「外から見る 科学者の目」。


ただ、西洋における「法則の発見」は 純粋に 「物質」を対象とした
自然科学の分野では 問題がなかったのですが、

「こころ」や「社会」などの 分野に応用していこうとしたとたん、
諸説が入り乱れて 収拾がつかなくなってしまう傾向があるようです。


科学者の目で 「社会」や「こころ」を 見つめていこうという考えが
出てくるのは 古いキリスト教(教会)が支配していた 一枚岩の
「世界像」に ルターがヒビ入れ、カルヴァンがぶち壊した からこそ
可能になった という事のようです。

        「現代」を いまだに 動かしている 思想の多くが
         この時代に 根をもっているんですから、なかなか
         進化しない・・つうか。


サイエンス界の旗手、ガリレイのやったことは 「時間」や「場所」から、
(実際には 人々の頭の中から)「聖なるもの」 とか、「魔的なもの」
とか そういう「質」を剥ぎ取ってしまうという ものすごい結果を生み
出したようです。

         すべての 「場所」や「時間」 が、「測りうる」
         という性質に還元されてしまい、平等化された と
         いうか、民主主義化されてしまったというか。


そして この時代、<イタリアルネッサンス> <異文化との遭遇>
<科学精神の勃興> <プロテスタンティズム> と、波状攻撃の中で
中世の世界像が崩壊していきます。このとき、ひとびとのココロの安定
を支えていたものは 「純朴なほどの理性への信頼」 であったようです。

例えば、イギリスのフランシスベーコン は 観察と実験
(帰納的な方法論)こそ が真理探究の唯一の正しい方法である、
として 科学の持つ「力」の意識(「知は 力なり」)を宣言した
ヒトです。

そして 同時代の フランスには やはり、数学者・物理学者であった
デカルト がいます。

いろんなカタチで ぶち壊されて ガタガタになっていた「世界像」
の 再・構築(リストラ)という時代の要請 に応えるかのように

「確固たる知」の方法論(=「ウソかホントか、ギリギリまで 疑ってみる」)
をマジメにマジメに模索したひとです。

      「これまで、絶対的であったキリスト教の世界観 は
       いろいろな世界観(世界像)の ひとつに過ぎなかった。」

      「もの凄くリアルで、堅固に 見えていた世界 が
       単なる主観(自分勝手なおもいこみ)にすぎなかった」


       というショックの後遺症とでもいえるかもしれません。


       でも デカルトの仕事は、 もの凄くマジメに 「確実な知」
       の追究を やったせいで、結果的には かえって 理性への信頼
       にヒビを入れてしまったかの観があります。

       そして、この、目の前に見えている「モノ」は ホントウに
       自分に見えている通りに ここに在るのかどうか・・

       結局は 主観(ココロの思いこみ)にしかすぎないのではないか・・

       という 認識への懐疑 を 残してしまうという形で。


       そして、ココロとモノ の分離 も 実は デカルトに始まります。


          「科学の危機」 を生みかねない この ヒビ の修復は
           <理性の守備範囲> を確定(限定)した  カント を待た
           ねばなりません。


デカルトの根源的な問いかけを受けて、
「ひとの[ココロ]は 経験のカタマリにすぎない」という 
世界をひっくり返すような視点を もたらした、イギリスの ロック。

さらに ヒュームが「信仰であれ、科学であれ、信念のひとつにすぎない」
と とどめを刺すかのようなことを言い始める。


ともあれ、カントによって、サイエンスの危機 は 何とか救われました。


      思想的な影響力でいえば、天賦人権論。
      「天は人の上にヒトをつくらず、ひとの下にヒトをつくらず」
      の、ロックさんが圧倒的。かな?

      これらの中で なんとか、「自然法則」と胸を張って言えたの
      は「経済学」くらいのものだったのではないでしょうか。


            やっぱり「社会やこころ」は「物質」のよう
            に サイエンス の一筋縄ではいかない。


ごちゃごちゃ 書きましたが、< 法則 >っていう発想は あくまで
サイエンス志向 なんですね。


           そして 【治病のシステムとしての「操体法」】
           は あくまで その流れの中にある。



イスラム世界に誕生し 戦争と共に発展を遂げて現在にいたった「医学」
は いまでも 自然科学の一分野として [サイエンス]路線 を突き進ん
でいます。

「人間の体」を 「モノ」として 生物学的 化学的にみる方法 は
現代医学のオハコ。


       現代医学の見落とした「力学的観点」という [スキ]を埋める
       ように カイロプラクティクなり整体術なり操体法なり が
       なんとか 居場所を確保している。


ただ、どうしても 現場で(現実に)は 「想(ココロ)」 の影響を無視
する というわけには行かない。



ところが、[サイエンス]を自称している学問の世界でも、ココロの分野
は いまだに、諸説が入り乱れている というのが実態のようです。


「ひとのカラダ」が「ココロ」の影響を強く受けているという事実 は
東洋系の古代医学では 常識 です。(西洋でも 古代はそうだったし)

                とことん深層心理を追究したのは
                大乗仏教の 唯識論 のみ。らしい。


現代の科学にあっては アメリカの誇る科学的方法論 =「行動科学」が、
諸派に分裂しつつも ココロ(行動パターン)のデータを蓄積している。し、

「医学」としても、新しい学問分野「精神神経免疫学」として
マジメに取り組まれているらしいし。

もちろん、ヨーロッパの フロイトに始まる 「精神分析学」 という
独創的な仮説も ばらばらに分裂しつつもそれなりに頑張っているらしいし。

なんといっても 人工知能開発への要請から出てきた 認知科学は
複雑系の理論などと交流しつつ 大きな可能性を見せてくれているし。
 
                哲学に回帰しようとしている
                かにも見えますが。


と言う事で、 「カラダ」にふかぁく食い込んでいる「ココロ」という
現象は  厳密な科学(=サイエンス)としては どうやっても やっぱり
法則化できない。


              でも 現に いま ここで生活している
              人間は 学問の発達 なんぞを待ってな
              ど おれない。

              今再び、サイエンスの危機??



さて、話は飛びますが、古代世界のさまざまな民族の交差点 であった
<小アジア>という場所に 人類初の <哲学> というものが生まれた経緯。

西は イタリア ギリシャ。 南はエジプト。西には 突如勃興した
大帝国 ペルシャ。

フェニキアに受け継がれた古代オリエントの神々。
由緒あるエジプトの神々。
さらに ギリシャの神々。その ギリシャの神話世界は また 地域に
よって数多くのバリエーションをもち、そこに ユダヤ教 や、
超大国ペルシャのゾロアスター教までもが 流入したはずです。

さまざまな 民族と、言語と 神々とが ごちゃごちゃと入り乱れ、
そのお互いが主張しあいながらも 相対化されて 権威 を低下させ、
ひとびとの「世界像」が ゆらぎにゆらいだ時代でもあったはずです。


そこに

「うちの神さんこそが世界の根源だ」 と言うのを 一旦やめよう
じゃないか。

どの文化に属しているヒトであっても 誰でもが知っているコトバ で
世界を説明しなおしてみようじゃないか。

という発想が出てくるのは 当然と言えば当然の成り行き。


                いわゆるミトレス学派のイオニア自然学。
                最近の高校の世界史の教科書には この
                あたり(ギリシャ哲学)について えらく
                詳しい。ちょっと オドロキ。 (・・)



これは 世界を見るための < 共有できる 文脈 > の模索であったわけです。




さて、ここで イオニアの哲学者達の マネをして

「カラダと対話する為の言語」、「からだの共有言語」という文脈で
 <快・不快という感覚> を 捉えなおしてみます。

<カラダ>の共通語=「みんな知っている 快・不快という感覚」 を使って
自分のカラダ あるいは 他人のカラダと対話していく。

と、からだの気分(原始的なこころ)が なんとはなしに感じられてくる。

そして この[気分] は 共有されうる。


               No.433:
ゆうひ >
               > それにこれ、私もちょっと気持ちいい。
               > 操体まがいのことをやってても、
               > 軽く力を入れてる時も抜く時も抜いた後も、
               > 患者さんと一緒にああ気持ちいい、もういいや、
               > というのがたまにありますねえ。
               > 結構これが好きです。



ここには [病気治し][健康維持]にとどまらない、いろいろな 可能性 が
たっぷり 埋まっているように感じます。


>「操体法」 を 「治病システム(サイエンス)」として(だけ)捉えてしまうと、
>もったいない・・


               ・・・と、やっぱり そう思います。 (^^)
.
タイトル: Re:町の按摩さん
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/05/29 15:
> 大工事中なんですね。

はい。
試行錯誤してます。(^^;

> デザイン的にも なんか
> あか抜けしてる。いいサイトになりそうな予感。

そお言ってもらえるとうれしい。(^^)

一段落したら、「らくらく操体法」の続編と、Mac環境の人でも見れる
やつにトライする予定です。
.
タイトル: Re:そうたい[法]
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/29 19:
>読み飛ばしてくださいね。いいかげんなものだし。

      と書いた理由を 補足しておいたほうがいいかな。 (^^;


>例えば、イギリスのフランシスベーコン は 観察と実験 こそ が
>真理探究の唯一の正しい方法である、として 科学の持つ「力」の意識
>「知は 力なり」を宣言したヒトです。
>
>そして 同時代の フランスには やはり、数学者・物理学者であった
>デカルト がいます。


というような、一般的な理解は ベーコンやデカルト、ニュートン等
に対して なんとなく エライひと というイメージを前提としてい
るのですが、これは 世に出た「文献」だけを頼りに 読み手が勝手
に組み立てたイメージにすぎません。

私たちは 今 「サイエンス」という神話 の中で生きているような
ので、彼らはその 教父(聖職者)として 多かれ少なかれ 美化 され
ているはず。


<科学者>と聞くと、我々の頭の中にある <現代の科学者> のイメージ
を おっかぶせて理解しようとしてしまうのですが、

考えようによっては 当時の <科学者> なんてものは、「マユツバ」
もいいところで、錬金術の実験やら、魔術書やら、魔法陣やらに埋もれ
ていた生活であったはずです。

本人たちは 真正のキリスト教徒の顔 を世間に向けていたんでしょう
けど、ホントのところは 「ファウスト博士」の世界 の住人であった
可能性のほうが おおきい。


現に、フランシス・ベーコンは マルチン・ルターも会員だったという
「薔薇十字会」(う。名前からしてアヤシげ)という秘密結社の
「偉いさん」をやっていた という分析をしている史家もいるし。

              こゆう 魔術的秘密結社 は いっぱいあった
              らしくて、共通の敵は ローマ教会であった
                          らしい。 (^^;


当時イギリスは ヘンリー八世が 離婚問題でカトリック教会と
大喧嘩して、決裂してしまい、英国国教会という新たな宗派を
勝手に作って 自分自身その首長になってしまう。という むちゃ
をやってから、4代ほどあとの ジェームズ一世の時代。

王権神授説 を唱えたジェームズ一世が 自ら命じて英訳させた
新約聖書( THE HOLY BIBLE キング・ジェームズ・バージョン )の
「監修」をやったのが、(何故か)科学者であるはずの ベーコンで
あったりする。らしい。

もしそうなら、ベーコンの「近代科学」というのは、なんなのか。

もしかすると、「新しい聖書づくり」と同じ目的の仕事、すなわち 


   旧教会の権威潰し のための 工作活動であった


という見かたが成り立ってくる。

           (はは。 もお、これわ 国際スパイ小説の世界)



でもって、一旦、こういう<文脈>に載せてしまうと、有名な「知は力なり」
というコトバすら、 <フォース>という 悪魔崇拝者の隠語として聞こえて
来てしまったりして・・・ (^^;

              正史のスキマから、漏れてくる こういう
              ウラの歴史 も ほんとうのところは わから
ない。


でも、<文脈>ひとつで、イメージが 「ごろり」と変わってしまう怖さは
コトバの世界の持つ <チカラ> には 違いないな。と 思います。


翁先生の 言う、 「想」は「コトバ」に従う  という法則(?)は
このあたりの 「文脈の魔術」のことを言っているのかもしれません。



          ・・・ということで。 あまりマジに読まないでね。

             ひまつぶしで書いた いいかげんなものだし。



     はやく ふつうの操体の話 にもどしてよ〜。 > みなさん。   (^^)
.
タイトル: 仙台へ行きます。
名 前 : くわまん
日 時 : 2001/05/30 12:
家族で友人の(ガン)お見舞いをかねて・・・。
操体ゆかりの地ですよね。

「操体法 歪を直せば体が治る」の佐藤先生(ヘルスプラザ仙台)には時間を取っていただけることになりました。いろいろ聞いて見たいなと思ってます。

ほかに、どこか寄っといたら良い場所とかありますか。

まるさん、すごいですね。縦スクロールで目が疲れました。
.
タイトル: Re:仙台へ行きます。
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/30 17:
>「操体法 歪を直せば体が治る」の佐藤先生(ヘルスプラザ仙台)
> には時間を取っていただけることになりました。
> いろいろ聞いて見たいなと思ってます。
>
> ほかに、どこか寄っといたら良い場所とかありますか。

  佐藤先生かぁ。なつかしいな〜。 向こうは忘れてるだろけど。

  やはり、「温古堂ものがたり」の 今先生 のところには
  是非 寄った方がいいと思います。
  翁先生の「ナマの声」が からだに染み込んでるヒトです。

             もし 行かれるなら、「ヨロシク」ね。

  時間があれば いろんな 翁先生のエピソードとか聞けるかも。


>まるさん、すごいですね。縦スクロールで目が疲れました。

              す、すびばせん。 (^^;
              話題がなかったもので・・・・。
.
タイトル: 又、書きます
名 前 : ゆうひ Mail
日 時 : 2001/05/30 23:
 まるさんが、昔言ってたことや、見せてくれたこと、してくれたことを
 今になって実感することが多い。
 掲示板の以下のことが、何か気になっています。

〜「操体法」 を 「方法(治病システム)」として捉えてしまうと、
「あれと、これ。どちらの方法ががいいのか」という考えが出てきて
しまうんですが、 僕はそのような捕らえ方は もったいないな と
感じてしまいます。

「操体」というのは 「からだ」と「こころ」と「せかい」とを、
「自分の感覚」に引き受けて 読み解いていく為の 
ひとつの かなり大きな <文脈> のようなものです。

  生きている限り「誰でも」もっている「感覚」をたよりに
  からだの「かしこさ」を 発見し、育てていくこと。
  その過程 のなかで、 生き物としての「自信」を 取り戻し
  ていくこと。〜

 又、ゆっくりと考えてみたいと思います。

 かわの介助のことですが、患者さん(?)の介助をする時や
 治療で触れる時は、ピタッと手の平を密着させてというのは
 昔習ったように思います。
 理由は色々あったように思いますが、
 共通するのでしょうね。
 こうして介助したり、治療していると、
 一体感があるようですね。(とりあえず私の側に)
 又、ぼちぼち考えながらやってみます。
.
タイトル: ためしてガッテン
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/05/31 15:
昨日、NHK「試してガッテン」でストレッチやってましたね。

多くの人が「痛気持ちいい」でストレッチをしているのに対して、「気持ち
いい」だけのストレッチの方が、圧倒的に効果的だということでした。

20年来の肩凝り主婦が、その「気持ちいい」ストレッチを一週間続けたら、
肩凝りがかなり楽になったとゆうのも出てました。

さすがNHK。
いい番組。(^^)

しかし、番組でやってた気持ちいいストレッチ。
柱や壁を利用しての、持続的伸展でしたが。

あれを自力で、自由に伸ばしたいところを気持ちよく伸ばす、にしたら。
何かに似てる。(^^)
.
タイトル: Re:ためしてガッテン
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/31 17:
> しかし、番組でやってた気持ちいいストレッチ。
> 柱や壁を利用しての、持続的伸展でしたが。
>
> あれを自力で、自由に伸ばしたいところを気持ちよく伸ばす、にしたら。
> 何かに似てる。(^^)



かわの そうたい! (^-^)
.
タイトル: Re:又、書きます
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/05/31 19:
>  まるさんが、昔言ってたことや、見せてくれたこと、してくれたことを
>  今になって実感することが多い。

    むかし・・って、 おおむかし ですよね。 (^^)

    何言ったのか 本人(まる)は忘れてるんですが、
    ここ(掲示板)に まだ 書いてない事で 面白いテーマが
    あったら、<今になって>実感してる部分も 含めて教えてく
    ださい。

                  ひまなときにでも。


>  掲示板の以下のことが、何か気になっています。

> 「操体」というのは 「からだ」と「こころ」と「せかい」とを、
> 「自分の感覚」に引き受けて 読み解いていく為の
> ひとつの かなり大きな <文脈> のようなものです。
>
>  かわの介助のことですが、
>
>  こうして介助したり、治療していると、
>  一体感があるようですね。(とりあえず私の側に)


  今の この時代。   ヒトとヒトとの 関係 を 組み立てなおす
  という 要請もありますよね。


人間の<カラダ>を  物質的レベルだけのもの として切り離して考えると
すっごく <観念的> になるように(最近)思います。
解剖の図 とか、化学的プロセスとか、細胞の構造とか、そういうのしか、
頭に出てこないし。そういう思考を通して つい、カラダ を<考えて>しま
うし。

と同時に、人間の<ココロ> を カラダから切り離して 独立したものとして
考えても とても <観念的> な 扱いをしてしまう。
無意識とか、防衛反応とか、気分障害とか、つい、そういう知識で <考えて>
しまうし。

                   <考え>ているだけ
                   <イメージ>しているだけ で、
なんにも <見て> も <聞いて> も
                   いなかったりする。


            だから、PCの画面見ながら マウス片手に患者さんの
            話を聞くお医者さんが いたり、 「治療理論」が要求
            するデータだけしか、耳に入ってこない心理セラピスト
            がいたり も する。

                   もちろん、まともな ヒト もいる。


このへんが、たくさんの 飛びぬけて頭のいい人たち(だいがくきょーぢゅとか)
が 生涯をかけて追究しているにもかかわらず いまだに「人間に関する学問」が
混乱したままである 事情?

「目で「感じ」て、耳で「感じ」て 手で「感じ」てみること から しか、
どんな <納得> も 組み立てられないのにね。
  
.
タイトル: ぷるさいと
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/01 02:
こんどの プルサイト、 http://member.nifty.ne.jp/puruanma/

いい感じ。 うん。   (^^)
.
タイトル: 腰痛
名 前 : 烏賊 Mail
日 時 : 2001/06/01 19:
お久しぶりです。
すっかり狸をしています。
今週、急に腰が痛くなり、近くにはどうも操体の先生は居ないようだし
近くの先生にAKAと言うのをしてもらいました。
仙骨矯正がmainみたいでした。でも、少し楽になって良かった。
自分で”あいたた”と良いながら、痛みのない方向を探したりしたの
ですが、あまり効果がありませんでした。
急には難しい物だなと思いながら、過ごした週でした。
先日は北海道にどなたか居ませんか?と言う事でしたが、
北部九州にもどなたかいらっしゃいますか?
今まで腰が痛いなんて無かったのにと思いながら、
慎重に立ち上がっている毎日です。
.
タイトル: Re:腰痛
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/01 21:
> お久しぶりです。

  烏賊さん、お久しぶりでっす。 (^^)

> 今週、急に腰が痛くなり、近くにはどうも操体の先生は居ない
>ようだし  急には難しい物だなと思いながら、過ごした週でした。

    ですよねえ。   (^^;

    直接みないで 助言するわけにもいかないし。


> 先日は北海道にどなたか居ませんか?と言う事でしたが、
> 北部九州にもどなたかいらっしゃいますか?

       例によって これは、プルさん かな。 
.
タイトル: 勉強会ほうこく
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/01 22:
京都の勉強会です。

今週の勉強会は、どゆわけか ヨガのアサナ(ポーズ)の 講習
からはじまりました。

  うつ伏せポジションから 頭を上げていって おなかを浮かさ
  ないように上半身をそり上げる <コブラのポーズ>のときに
  腰痛くなったひと が 2名。 (^^;

  仰向けポジションから 両足を頭の上の床につける
  <鋤のポーズ>で 肩が痛くなったヒトが 1名。 (^^;;


そやって、患者さんを作っておいて
それを治すという実習・・       (うそうそ、じょーだん!)



ともあれ、きちっと左右対称の形を保持しつつ 目的のからだの形
を保つストレッチ が 「もともと潜んでいる問題」を 表面化し
てくれるのは 確かなようです。

     感覚の「ない」→「ある」 への ひとつの道ではある。


ヨガの場合、さまざまなポーズ(で感覚が目覚めさせられた)のあと、
<シャバアサナ>という死体のマネをしますが、あの 完全にチカラを
抜いてる間に 体の内側で操体が起こっているんだな と 僕は思います。


ストレッチ に関しても まとまった文を書かなくちゃな〜 と
思っていたところに プルさん報告がありました。

「かわのそうたい」は 独りでやっているのを 横から見ていると
ほとんど、<ストレッチング> そのものです。

いわゆる<ストレッチング>は 伸ばす筋肉に意識を集中する のを
原則にしている場合が多いようですが
<かわのそうたい> は 見た目はほとんど同じでも 意識の使い方は

      まるっきり逆。


全身のかわのつらなり を 意識しながら 部分のかわ を 好きな
ように(イヤな感じがないように、キモチいいように)伸ばしていく感じ。

                 腰を治そう という気持ちを脇において、
                 手のひら とか、首の <かわ>を
                 いろいろと 伸ばしてみれば? > 烏賊さん

                 プルさんのページの 「独りで操体」
                 は 実際やってみようというひとには
                 参考になりますよ。


かわのそうたい を 手伝ってくれるヒトが居る場合は

この動きを促すように かわ を動かしてもらう場合  と
この動きに逆らうように かわ を動かしてもらう場合 と で、

感覚 がまったくちがいます。

                 どっちがキモチいいか。
.
タイトル: Re:腰痛
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/02 12:
> > 先日は北海道にどなたか居ませんか?と言う事でしたが、
> > 北部九州にもどなたかいらっしゃいますか?
>
>        例によって これは、プルさん かな。 

手持ちの住所録から検索してみたんですけど、該当するところがネットでは
ありませんでした。(T_T)
ネットでは確認出来ませんでしたけど、北九州に一件あったので、烏賊さん
にはメールで送っておきます。
(掲示板で連絡先を公開していいのか分からないので)

検索では、九州にもいくつかあったんですけど。
操体法だけをメインにやってくれるかどうかは、ちょっと分からなかった。


う〜ん。
ホームページ「操体 そうたい」に、全国「ココで操体法が受けられます」リスト
でも作りましょうか。
「操体 そうたい」でマズかったら、ウチのHPでもいいですし。

いろんな検索エンジンで「操体法」をキーに探すと、けっこういろんなトコがあ
るんですよね。
(中には「淫乱操体法」とかワケワカメなのも引っ掛かるんですが。(^^;)
そゆところに、リスト製作への協力依頼メールを送って。

取り敢えずのリスト掲載基準は、「操体法の施術、指導が可能なところ」。
あくまで自薦、他薦なので、リスト作成者が確認、評価したものではないことを
明記して。

とか、どうでしょ。
この掲示板で操体に興味を持って、実際に受けてみたくなった人もけっこういる
だろうし。
.
タイトル: Re:勉強会ほうこく
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/02 12:
> そやって、患者さんを作っておいて
> それを治すという実習・・       (うそうそ、じょーだん!)

うはは。
これ、実際やってみたら面白いかも。

先生はセッセと患者さん作り。

「さて、と。
 でわ、みなさん。
 自分で治ってみましょうねえ。(^^)/」

っていう、とっても自主性を尊重(強要(^^;)する教室。

> ともあれ、きちっと左右対称の形を保持しつつ 目的のからだの形
> を保つストレッチ が 「もともと潜んでいる問題」を 表面化し
> てくれるのは 確かなようです。
>
>      感覚の「ない」→「ある」 への ひとつの道ではある。

普段は気づかない、自分のからだの制限を味わってみる、っていうの
好きです。(^^)

> ヨガの場合、さまざまなポーズ(で感覚が目覚めさせられた)のあと、
> <シャバアサナ>という死体のマネをしますが、あの 完全にチカラを
> 抜いてる間に 体の内側で操体が起こっているんだな と 僕は思います。

同感っス。(^^)

目覚めさせられた感覚は、くつろいでいる時、勝手にうごうごとうごめいたり
します。
そのうごめきを、味わいつつ眺めているのも魅惑的。(^^)

> 全身のかわのつらなり を 意識しながら 部分のかわ を 好きな
> ように(イヤな感じがないように、キモチいいように)伸ばしていく感じ。

しかし かわ という場は面白いですね。

「かわの操体」を意識しはじめてから、ぼくの中での 操体 のイメージが、
ものすごく拡がりました。

ひょっとして、多くの人にとっても、ただ「気持ちいい感じ」「気持ちいいうごき」
と言うよりも分かりやすいし、感覚も深めやすいんじゃないか、と思います。
たぶん。

そのあたり、自分のHPでボチボチと試してみようと思ってます。
.
タイトル: Re:腰痛
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/03 01:
プル>
>う〜ん。
>ホームページ「操体 そうたい」に、全国「ココで操体法が受けられます」
>リスト でも作りましょうか。

    そんなのが 要るな〜 と、思いました。です。ワタシも。


>取り敢えずのリスト掲載基準は、「操体法の施術、指導が可能なところ」。
>あくまで自薦、他薦なので、リスト作成者が確認、評価したものではないことを
>明記して。

    全国回って 全部の治療を受けて、確かめるわけにも行かないしね。
.
タイトル: Re:勉強会ほうこく
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/03 09:
> 先生はセッセと患者さん作り。
>
> 「さて、と。
>  でわ、みなさん。
>  自分で治ってみましょうねえ。(^^)/」
>
> っていう、とっても自主性を尊重(強要(^^;)する教室。


   うわはは。 面白すぎ。 (^-^)



> しかし かわ という場は面白いですね。
>
> 「かわの操体」を意識しはじめてから、ぼくの中での 操体 のイメージが、
> ものすごく拡がりました。
>
> ひょっとして、多くの人にとっても、ただ「気持ちいい感じ」「気持ちいいうごき」
> と言うよりも分かりやすいし、感覚も深めやすいんじゃないか、と思います。
> たぶん。

    たぶん。

   「操体は嫌いだ」と 公言するひとの話を聞いていると、
   「キモチいい(ラクな)方向の判断」や、「キモチいい動き」
   「瞬間脱力」を 強要される感じがイヤ みたいです。

    「方向を間違うと、カラダが悪くなるかも・・」という「怖さ」
    を 誘導するような指導 をするヒトが、いるのかな?

    自分でやる時も このあたりがわからなくなる、あるいは
    うまく出来なくて 焦ってしまい、不安になったり、やる気なくしたり、
    する場合が 多いみたいです。
.
タイトル: 左の足
名 前 : おぐ
日 時 : 2001/06/03 12:
丸ずみ先生、この間私の左足の甲の外側がとても痛かったのを、モモの内側とか伸ばしてくださって直してくださったのを覚えいて下さいますか。「ちじんでるな」
「これは一種のテクニックで直すんや」とおっしゃって、私が「うそみたいうそみたい(に直った。魔術師や^^といって先生に怒られた)」といってた件です。また同じように痛くなりました。今度はもっとキツク痛んで、夜寝ることができませんでした。いろいろもんでみましたが、当然先生の治療のようにはままならず(あたりまえ)この2日ほど苦しみました。なぜかきのうから、痛みは取れたのですが。また痛くなると…と思うと心配で。どこを引っ張ればよいんでしょう。おしえていただけませんでしょうか。

先生の哲学(デカルトの話やら)の文章面白かったです。
.
タイトル: Re:腰痛
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/03 12:
>     そんなのが 要るな〜 と、思いました。です。ワタシも。

わ〜い。

でわ、具体的なことはメールで詰めていきましょう。
.
タイトル: Re:左の足
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/03 17:
>先生の哲学(デカルトの話やら)の文章面白かったです

    あやしい錬金術師のはなし?  (^^;


>丸ずみ先生、この間私の左足の甲の外側がとても痛かったのを、
>モモの内側とか伸ばしてくださって直してくださったのを覚え
>いて下さいますか。

    ま、まるっきり 覚えていません。 (^^;

             すびばせむ。

> なぜかきのうから、痛みは取れたのですが。また痛くなると…と思うと心配で。
> どこを引っ張ればよいんでしょう。おしえていただけませんでしょうか。

そうたい は なにをするか よりも 感じる事 が大切です。


今 「ある」感覚 は 感じ取られ(can)ますが、
今 「ない」感覚 を相手に 格闘するのは 膨大なエネルギーが要ります。

今 ない、左足の甲の痛み は 相手にせずに、
今 ある、「心配」という気分を 感じてみてわ?


「想の操体の基本」でやった、<電球を見る>を まずやってみます。
もちろん、電球でなくてもかまいませんです。

           覚えてなければ ホームページのほうで 確認を

その「目つき」を 保ったまま、そおっと、目を内側に向けていき、
自分の中の 「心配」 を見て(感じて)みてください。

なにが 起こるか。


          「集中してるな」と、感じたら、目を開けて 外を見ます。
          「想の操体」といっても 要は 「集中しないで感じる」
           ということですから、集中し始めたら 目を外へ向けて
          「集中」を ハズシたほうがいいです。

「想」の操体 の 応用編です。 (^^)
.
タイトル: アタマのかわの操体
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/03 19:
「町の按摩さん」の中の「ひとりで操体法」を1ページ更新しました。
今回は「顔の操体」。
正しくは「アタマのかわの操体」かも。(^^;

かわの操体、特に後頭部や首のうしろを感じるようになってから、パソ
コンでの目の疲れがかなりなくなりました。

ディスプレイへの過剰な目の集中が減ったみたいだし、普段からかわを
感じていると首のうしろの詰まりがゆるんでいくせい、かな。
なんて思ってます。
実際、以前は時々あった目の奥の違和感、コロッとした感じは、最近全
然ないです。

HPに書いた「目を見開く」は、ぼくのお気に入りの「かわの操体」。
あれだけで、目やアタマが軽く爽やかになります。

興味がある人は、見て、やってみてちょ。(^^)/

http://member.nifty.ne.jp/puruanma/hanashianma/hanashiFset.htm ひとりで操体法
.
タイトル: なるほど
名 前 : おぐ
日 時 : 2001/06/03 21:
少し分かりました(ような気がします)ありがとうございました。
うまく「切り替え」ができるということが、自分のバランスを保つ必要条件なのですね。たとえ集中してもそのあと「ふっと抜く」というあの感覚がだいじなんですね。
けれど、診療後に味わう、なかなかあの「しびれる」強烈な感覚は一人では味わえないので寂しいですが。
今日は日曜日。久しぶりにHP見れてフット抜けました。ありがとうございました。「顔の操体」もやって見ました。パソコンから来るの肩こりに効きそう!!
.
タイトル: Re:アタマのかわの操体
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/03 23:
> プルさん

プルさんとこの 「按摩さんのからだのはなし」 は是非
「お奨めリンク」に入れておいて下さい。

    自分で。  (^^)
.
タイトル: Re:アタマのかわの操体
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/04 15:
> プルさんとこの 「按摩さんのからだのはなし」 は是非
> 「お奨めリンク」に入れておいて下さい。

なんか照れますけど。(*^^*)

>     自分で。  (^^)

うはは。
やっときました。

トップのデザインも、ちょっといじってみました。
ちょい明るいかも。
.
タイトル: Re:アタマのかわの操体
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/04 17:
> > プルさんとこの 「按摩さんのからだのはなし」 は是非
> > 「お奨めリンク」に入れておいて下さい。

> うはは。
> やっときました。

はは。 言い訳 付き。 (^^)


> トップのデザインも、ちょっといじってみました。
> ちょい明るいかも。

   いや。かなり 明るくなりましたよ。
   このほうが いいです。
.
タイトル: 想の操体?
名 前 : ゆうひ Mail
日 時 : 2001/06/04 23:
想の操体、とはちょっと違いますが、
治療の場面でよく遭遇すること…

肩関節の可動域の治療をしている時、
自然な動きを再学習しようとして介助運動をしている時、
黙ってやっていたり言葉で説明し過ぎると集中して、
現在している、変な運動になりやすい。

ところが、意図していてもしていなくても、
何だか楽しい話になった時、
自然な動きが出来てくる。
多分治療者である(?)私の方は
介助を少し意識していると思うのですが…
いや、もしかしたら、一番うまくいって私が気持ちいいのは
私じゃなくて私の手が勝手にやっているという感じかなあ。
(ちょっとよく思い過ぎ?(^。^)
これ私自身もちょっと集中をはずしている?
あんまりないけど、
ある限られた方には結構頻繁にあります。
(ある方には、左右同じ運動をして、
うまく動く方の感じを感じだけを真似して、ということもあります。)


ああ、これは体を揺らす時もあるかなあ。
ちなみに、揺らすのは、
うつ伏せで私の足の裏を太ももの後ろにつけて揺らしたり
仰向けの頭の方から、両手の平を胸の少し上方にぴったりつけて
揺らすのが好きだし、先のようなことがたまにあります。
私の場合は揺らすのとかわの操体とミックスした感じかなあ。

ちょっとはずれるかもしれませんが、
想の操体から思い出したことです。
.
タイトル: Re:想の操体?
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/05 18:
ゆうひ>
>想の操体、とはちょっと違いますが、
>治療の場面でよく遭遇すること…

  ちょっと、補足しますね。わかりにくいヒトもいるかもしんないし。

                     本人には 無断ですけど。

  ゆうひさんは 昔の仕事仲間で 僕(まる)の操体の実験によく付き
  合わされた かわいそうなヒト(ウソウソ。シアワセなヒト)です。

                             (^o^)

  今回、書かれている内容は リハビリテーションの場での
  五十肩のヒトの治療風景 だと思って読んでもらえれば
  よくわかると思います。

                     だよね? ちがう?


>黙ってやっていたり言葉で説明し過ぎると集中して、
>現在している、変な運動になりやすい。

  これは 不思議ですよねぇ。
  パターンを崩そうと思ってがんばると、そのガンバリのなか
  から、そのひとの 現在持っているパターン が出てくる。


>何だか楽しい話になった時、
>自然な動きが出来てくる。

  これも 不思議だ。
治そう と、考えていない時 ヘンなパターンが 反応しない。

  「何だか楽しいはなし」ってとこが ミソかな。


>いや、もしかしたら、一番うまくいって私が気持ちいいのは
>私じゃなくて私の手が勝手にやっているという感じかなあ。
>(ちょっとよく思い過ぎ?(^。^)

 これ、わかります。 (双方とも ほとんど寝ている???(^^;)


>ああ、これは体を揺らす時もあるかなあ。
>ちなみに、揺らすのは、
>うつ伏せで私の足の裏を太ももの後ろにつけて揺らしたり
>仰向けの頭の方から、両手の平を胸の少し上方にぴったりつけて
>揺らすのが好きだし、先のようなことがたまにあります。
>私の場合は揺らすのとかわの操体とミックスした感じかなあ。

  これも おんなじ。

  「かわ」 を動かすカンジでやっていると、気がつくと、
   全身揺れている・・・

  「揺らす」のは「かわ」から入るのが、いちばん無理がない
   みたいです。

  これは、足の指をもって全身を揺らす「操体の指もみ」 の
  場合でも 同じですよね。

  足の指の皮 を 自分の指のかわに はりつけて、
  かわ を 伸ばしたりゆるめたり。
  そうやって 自分にとってラクなリズム を探していると
  受け手の方の からだ全体が ゆったり揺れ始めたていたり
  しますもの。
.
タイトル: 想のそうたい
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/05 19:
ひさびさに 想のそうたい の話題がでました。 No.458 Re:左の足

              ということで 少し、展開してみます。

> 「想の操体の基本」でやった、<電球を見る>を まずやってみます。
> その「目つき」を 保ったまま、そおっと、目を内側に向けていき、
> 自分の中の 「心配」 を見て(感じて)みてください。
>
> 「想」の操体 の 応用編です。 (^^)


            ここでいきなり、「想の操体」は 「超基本」から、
            「応用編」に飛んでしまいました。



この「超基本編」の次は 「耳」と「からだ」のレベルで、同じような事を
やってみて、共通のカンジ、意識の使い方 のコツを掴みます。

            これは 一応ここ(掲示板)でも 書きましたよね?
            まだ でしたっけ??


さらに 那夢さんやら、プルさんが どんどん先に進めて(勝手に実験して)
いろいろ報告してくれているようなことで 日頃から遊んでみます。

すなわち、「想の操体の基本」でやった、「見るときの意識の使い方」 を
「木」とか、「風景」とかを 見るときに 日常的に応用していくことです。
「聞く」や「感じる」でも 同じように遊んでみる事をお奨めします。



そして、その次に 《【想=イメージや感情】を感じる》 が来ます。



だから まず、電球やら、カップやら、風景やら、他人やら を 見ます。
外の音の世界全体に 耳を傾けたり、からだの全体の感覚を味わったり
してみます。

そやって、《そのカンジ》を掴んで、

そのカンジのまま 自分の中の【想】を眺めてみる、聞いてみる、感じてみる・・・
という順番がいいようにおもいます。



    【想】は それに集中すると、いきなり「現実感」を持ちます。

    「現実感」に対して、からだは 実際に反応を起こします。



これは、映画みたいなもので、周りを真っ暗にして 集中できるように
なっていると、目の前のイメージは とてつもなくリアルになってくる。

逆に、どんなによく出来た映画でも その部屋の照明を灯けると
一瞬にして <しらけ> てしまって、そのリアル感 を失います。


< 全体を感じる >を 保持しながら 見るとき、全部の感覚のスイッチが
入っているので 「電灯をつけた映画館」 みたいな状態になっちゃうわけ
ですね。 (たぶん)


想 と 感覚 の <癒着> を 一時的にせよ 剥がすような 感じです。

             そういう例え方を許してもらえるなら。(^^;


一時的であれ、なんであれ <想> から <感覚> が剥がれたら、
それは ただの「データ」や「オト(コトバ)」や「絵」にすぎない
という 事態 がみえみえになります。

             さっきまで 重い意味を持って、生き生きと動いて
             いた「イメージ」や「思考」が 突然、古い安モノの
             写真 や 古新聞紙の文字 みたいに見えて来ます。


以前から 話題になっていた ストレス問題。
「想」に振り回される事 からの「逃げ道」 は、どうやら、
このあたりに その入り口がありそうです。  (^^)


            自分でやるしか やりようがありませんが。(^^;;
.
タイトル: Re:想の操体?
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/05 20:
      ゆうひ>
      > 仰向けの頭の方から、両手の平を胸の少し上方に
      > ぴったりつけて 揺らすのが好きだし、

  「さらっ」と 書いてありますが、
  ヤジウマ根性のあるひと、やってみてください。これ。

              おもしろいよ〜。 (^^)


  誰かに仰向けに寝てもらって アタマの上方に座ります。

  手のゆびの「かわ」を 受け手の鎖骨の下の 腕の付け根あたり
  の「かわ」 にぴったりと はりつけます。

              指先だけを食い込ませないように
              出来るだけ広く はりつけます。



  胸(腕の付け根)の かわ を 交互に 上下に揺らすカンジ で動かします。

              「かわ」が 上下の方向に動かされるのを
               嫌がる(緊張してしまう)場合は
               スムーズに動く方向、キモチよく動く方向を
               本人にも聞きながら探してみてください。


  そうやって 楽な方向に動かしながら 左右のリズムが同調するのを待って
  いると 体全体が 左右に揺れ始めます。


               実際の手の動きは 円を描くようなカンジに
               なっても(なんでも)OKです。

               リズムは そのからだによって、あるいは
               リラックスの度合いによって 違います。
.
タイトル: 全国操体法リスト
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/07 12:
全国「ココで操体法が受けられます」リスト作成のご協力をお願いします。


以前から、この掲示板でもそうですし、個人的なメールでも「近隣で操体
法が受けられる場所があったら教えて下さい」という問い合わせがいくつ
かありました。

そこでホームページ「操体 そうたい」に、操体法が受けられる場所がひと
目で分かるようなリストを作りたいのです。

という訳で、まずはこの掲示板を読んでいる先生方にリスト作成の協力を
是非ともお願いします。


   掲載基準は「操体法を中心に施術が受けられる場所」。


基本的に、本人からの掲載依頼によってリストを作成したいと思っていま
すので、これを読んでいる操体法の先生!
是非ともプル宛にメールを下さい。

掲載内容は以下の通りです。


   ・施術場所の名称
    (希望により代表者の氏名の記載可)

   ・所在する場所の都道府県名と都市名
    (希望により町名、番地までの記載可)

   ・メールアドレス(電話番号も記載可)

   ・ホームページアドレス(省略可)


上記を明記の上、プル宛にメールを下さい。→ yhy01631@nifty.ne.jp
この書き込み欄・右上の「Mail」からでも送れます。

もし知っている方で、操体法で治療、施術している先生がいましたら、
その先生にもこのリストへの協力をお願いしてくれたらうれしいっス。


読者のみなさんの為、ご協力よろしくお願いします。m(_ _)m
.
タイトル: らくらく操体法1v2.0
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/07 12:
サウンドノベル「らくらく操体法1」に、第二話を付け加えました。

やっぱ読みやすいっス。(^^)

ダウンロードはhttp://www.geocities.co.jp/Beautycare/8684/ 「操体 そうたい」から。

前にダウンロードしたことがある人は、「プレーヤーなし」でOKです。

もし内容以外の、動作上の不具合がありましたら、拙HP「町の按摩さん」
併設の掲示板の方へお願いします。
.
タイトル: 北海道の操体人!
名 前 : くわまん
日 時 : 2001/06/11 12:
この前教えてもらった北海道函館の某先生、今は操体やってないそうです。
なはは。やめちゃう人もいるんですねぇ。時間がかかりすぎてお客さんこなせないそうです。って。
.
タイトル: どんどん書き込んで下さいね
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/11 12:
皆様にはご迷惑をおかけしました。

取り急ぎ、緊急メンテナンス直前までの過去ログをまとめてアップしておこう
とした矢先。
めでたく復旧しました。(^^;

な訳で、「操体 そうたい」に直近の過去ログあります。
ま、過去20コの発言は、ココで読めるんですけどね。(^^;

復旧して、取り敢えず   ホッ  ( ^ o ^ )
.
タイトル: Re:想のそうたい
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/11 13:
> この「超基本編」の次は 「耳」と「からだ」のレベルで、同じような事を
> やってみて、共通のカンジ、意識の使い方 のコツを掴みます。
>
>             これは 一応ここ(掲示板)でも 書きましたよね?
>             まだ でしたっけ??

えっと、No.249にある
―――――――――――――――――――――――――――――――
> 人の声 に 疲れる というのがあります。

>

> 意識を何かに集中して(熱くなって)声を出すと その声は

> 不快な声に なりやすいようです。

>

> 聞くひとが ひとの声 に 集中する 場合と

> 他の音も聞こえるように 耳を開放しておいて聞く 場合と

> 自分自身も 感じ(全身を感じる)ながら 聞く  場合と

>

> の 3つのケースを 試してみたわけですが それぞれの

> ヒザ裏の圧痛 の状況を おぐちゃんが UPしてくれました。

>

> これは 想の操体の実験 [ = 電球を見る ] でやったのと

> 基本的にはおんなじパターンです。
―――――――――――――――――――――――――――――――

……かな?

ちなみに文中の「おぐちゃんが UPしてくれました」書き込みは、
No.247にあります。


> 想 と 感覚 の <癒着> を 一時的にせよ 剥がすような 感じです。
>
>              そういう例え方を許してもらえるなら。(^^;

想 と 感覚 の<癒着>……。

これは例えば、痛みを取ろうとあがいている時。
問題を抱えて悩んでいる時。

というような状況を思い描いてもいいですか?

からだ にしても こころ にしても、
今ある 感覚 や 感情 を感じたくないが為に、そこから離れようと
必死にあがいている状態。

でも、逆に。
感じたくない、離れたい、と葛藤すればするほど、そこに固着してしま
うという、泥沼状態とか。


で、<想> は、アタマ とか 考え という風に受け取ってもいいです
か?
ちょっと確認。(^^ゞ


> 一時的であれ、なんであれ <想> から <感覚> が剥がれたら、
> それは ただの「データ」や「オト(コトバ)」や「絵」にすぎない
> という 事態 がみえみえになります。
>
>              さっきまで 重い意味を持って、生き生きと動いて
>              いた「イメージ」や「思考」が 突然、古い安モノの
>              写真 や 古新聞紙の文字 みたいに見えて来ます。

癒着している最中は、重くて、狭くて……。
でも、いったん離れてしまうと、あっけないんですよね。

とはいえ、癒着している最中に「お、癒着してるわ、ぼく。(^^ゞ」って
気づければいいんですけど。

> 以前から 話題になっていた ストレス問題。
> 「想」に振り回される事 からの「逃げ道」 は、どうやら、
> このあたりに その入り口がありそうです。  (^^)

「逃げ口」として、「全体を感じる」はとっても役に立ちます。(^^)

普段から、からだの痛みや不調な時に試していると、癒着している時に
も、けっこう思い出しやすい、気がします。
(まだ断言は出来ない。(^^;)

>             自分でやるしか やりようがありませんが。(^^;;

自分で出来る、ってのが素晴らしいっス。(^^)
.
タイトル: Re:どんどん書き込んで下さいね
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/12 21:
> めでたく復旧しました。(^^;
> 復旧して、取り敢えず   ホッ  ( ^ o ^ )


いや。 よかった。 (^^) ほんとに。
.
タイトル: Re:想のそうたい
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/12 23:
> > この「超基本編」の次は 「耳」と「からだ」のレベルで、同じような事を
> > やってみて、共通のカンジ、意識の使い方 のコツを掴みます。
> >
> >             これは 一応ここ(掲示板)でも 書きましたよね?
> >             まだ でしたっけ??
>
> えっと、No.249にある
>
> ……かな?

              そうです。
              あと、体全体を感じる っていうやつと。



> 想 と 感覚 の<癒着>……。
>
> これは例えば、痛みを取ろうとあがいている時。
> 問題を抱えて悩んでいる時。
>
> というような状況を思い描いてもいいですか?


              もちろん含まれてきますよね。

              
> からだ にしても こころ にしても、
> 今ある 感覚 や 感情 を感じたくないが為に、そこから離れようと
> 必死にあがいている状態。

> でも、逆に。
> 感じたくない、離れたい、と葛藤すればするほど、そこに固着してしま
> うという、泥沼状態とか。

              そんな感じです。



> で、<想> は、アタマ とか 考え という風に受け取ってもいいです
> か?
> ちょっと確認。(^^ゞ


              考え。はい。 そして、イメージ、感情、気分。



> > さっきまで 重い意味を持って、生き生きと動いて
> > いた「イメージ」や「思考」が 突然、古い安モノの
> > 写真 や 古新聞紙の文字 みたいに見えて来ます。
>
> 癒着している最中は、重くて、狭くて……。
> でも、いったん離れてしまうと、あっけないんですよね。


               へ?  ってかんじです。 (^^)




> 「逃げ口」として、「全体を感じる」はとっても役に立ちます。(^^)


               殴られそうになったら、いきなり、リング
               から降りてしまう。という感じの なんか
               ズルイというか・・・



> 普段から、からだの痛みや不調な時に試していると、癒着している時に
> も、けっこう思い出しやすい、気がします。
> (まだ断言は出来ない。(^^;)


               キモチいいとき、気分のいい時、うかれている
               とき、はしゃいでいる時 笑っている時、
               人の噂話をしているとき、夢中でテレビを見て
               いるとき・・なんかも 試してみると面白いです。




> > 自分でやるしか やりようがありませんが。(^^;;
>
> 自分で出来る、ってのが素晴らしいっス。(^^)


もちろん 何人かで 実験して遊ぶ事は出来ます。

         以前 紗夢さんが書いていたことが ここで やっと出てくる
         わけですが、

         大好きなもの(ヒト) とか、大嫌いなもの とかの 感情を
         呼び出すようなイメージを 心の中に思い浮かべてみます。


               始めは 他愛のないものの方がいいみたいです。


         そのイメージを 「集中」して感じ(眺め)てみたり、
         「全体を感じる」をバックにして その中でそれを感じてみたり
         して、からだへの影響を 確かめ(膝ウラの圧痛とか)てもらう
         と、すごくおもしろいです。

         笑い転げてしまって 不愉快な感情が呼び出せなくなっちゃうこと
         もあるんですが。
.
タイトル: Re:北海道の操体人!
名 前 : まる
日 時 : 2001/06/13 11:
> なはは。やめちゃう人もいるんですねぇ。時間がかかりすぎてお客さんこなせないそうです。って。

時間が短すぎて 治療としての体裁が保てない・・ってのなら、
  わかるんですが。(^^;
.
タイトル: Re:北海道の操体人!
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/13 16:
こんにちは、くわまんさん。

> この前教えてもらった北海道函館の某先生、今は操体やってないそうです。
> なはは。やめちゃう人もいるんですねぇ。時間がかかりすぎてお客さんこなせない
> そうです。って。

あじゃぱ。

まるさんが

> 時間が短すぎて 治療としての体裁が保てない・・ってのなら、

>   わかるんですが。(^^;

って書いてますが、ぼくもそう思うのですが。( ^ ^ ;

ところで、たぶん札幌在住だと思われる、操体のみで治療を行っている人を
発見しましたよ。(^^)/
三浦先生門下みたいです。
とっても綺麗でセンスのいいHPっス。
(あ〜、なんで、ぼてぼてっとしたページしか作れないんだろ、アタシって
ば。(^ ^ ;)
HPを覗いて連絡してみては?

http://www4.ocn.ne.jp/~iyashi/

ちなみに「操体法」で検索してて見つけました。
これからリストへの登録依頼をしてみるつもりです。

もし誰か、操体法使いの先生を知っている、とか、HPを知っている、とか
あったら、是非プル宛メールでお知らせ下さいませ。
.
タイトル: Re:北海道の操体人!
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/15 23:
>ところで、たぶん札幌在住だと思われる、操体のみで治療を行って
>いる人を発見しましたよ。(^^)/

 覗いてきました。ホームページ(日の当たる部屋)。

         ほんとだ。 きれいだ。 (^^)

        「きれい」ってのは、精神的快感覚ですよね。

 この中で、<快>の 分類があるんですが、これは興味深いです。

 人間と言うのは <原始的(生理的)>な快感覚だけじゃあなくて、
 社会的な快感覚とか 精神的な快感覚とか も あるんですよね。

 この中で、

      >操体は、連動による筋肉運動(主に伸筋を使用)、呼吸、視覚、
      >触覚を動員し快を味わってもらうのですが、「たわめの間」の
      >感覚は、生理的心理的快感覚であると私は思いますが、みなさん
      >はどう感じておられるのでしょう。

という 問いかけがあります。 治療の場では まさにその通りだと思います。


では、 生活の場 では どう考えていけばいいんでしょう。

精神的な快 や、社会的な快、感情的な快の追究 というものが、
<原始的な快>を 凌駕し、圧倒してしまっているのが、人間です。
それこそ、社会を動かしている 原動力のようにさえ、思えます。

「人を支配する快」「イバル快感」の追究 なんかを 貫徹されると、
 周りの人間 は かな〜り、「不快」。 (^^;

       本人はものすごく健康だけど、周りの人間は
       病人だらけって おうち、あるでしょ? (^^;


で ここのところをクリアできてないと、「操体法の可能性」の射程は
とても短いということになっちゃう。

       これ、しゅくだいですね。  >だれの? (^^;


でわ。・・ちょっと イバッテみようっ。(根拠なし)

     「だれか、もっと カキコミ しなさい。」   (^^;;;
.
タイトル: 東京行きます
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/15 23:
ええっと。 近く 鍼灸学校の同窓会で東京行きます。

東京なら、このヒトには会っといた方がいい・・ってお奨め
の方ありますか?


      ・・・・なんつって。 (^^) じょーく だよん。
.
タイトル: はじめまして
名 前 : 小次郎
日 時 : 2001/06/16 17:
はじめまして。小次郎といいます。自然堂の掲示板を見ていて、こちらに飛んできました。過去ログをやっと読み終えたのですが、勉強になりました。2年前から三浦先生にご指導していただき、すっかり操体にはまってしまいました。

それまでは、オステオパシーにはまっていましたが、やっと体の要求感覚を十分に満たす物に出会えたという感じです。今まで操体はただ、楽な方へ動かせばいいものだと勘違いしていましたし、局所だけを動かすものと思っておりましたが、連動が大事だったのですね。

やっぱり、良き指導者に正確に教えてもらわないとだめですね。特に想の部分が一番大事なのに、どうしても表面的な形ばかりが先行しやすいですから・・・・

今年の初めヴィパサナー瞑想の10日間コースへ参加してきました。あるがままの自分を見つめる。

すごくよかったです。快の感覚の質が少し深くなりました。しかしここで思ったのですが、快も不快も反応することなくただ冷静に客観的に体全体をみてゆくのですが、快も不快も常に変化しずっと留まることはありません。だから操体で言う気持ち良さ(快)の本質はなんなんだろうと考えてしまいました。

不快な動きも目線や呼吸・意識・皮膚の動きなどで、たちどころに快に変わる事があります。ほんと不思議です。ということは本当の快とは・・・・

その一瞬・一瞬で快をききわけ快に従えばいいのでしょうが・・・・

はじめて投稿したのに長々と難しい事を書いてごめんなさい。また時間があったらあらわれます。               小次郎
.
タイトル: 自己削除しました (^ ^ ゞ
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/16 19:
No.479と480、自己削除しました。

とりとめもなく、よく分からないながら書いてたんですけど。
読み返してみたら、ものすごくワケワカメだったので。( ^ ^ ;

申し訳ないっス。( ^ ^ ゞ
.
タイトル: Re:はじめまして
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/17 01:
> はじめまして。小次郎といいます。

    はじめまして。 まる です。  よっろしく。


>前から三浦先生にご指導していただき、すっかり操体にはまってしまいました。
>今まで操体はただ、楽な方へ動かせばいいものだと勘違いしていましたし、
>局所だけを動かすものと思っておりましたが、連動が大事だったのですね。

    連動が・・「大事」というより、なんと言っても「おもしろい」んですね。

    今日、左の 薬指が弾発指 で、曲がんないひと と、二人で からだ を
調べて遊んでました。無理に曲げるとパチン と音がしていきなり曲がる(痛い)。

    結局は  左腕をバンザイするみたいに上げて、その流れで 左のわき腹
    のかわを伸ばすようにして(ちょっと手のひらで皮の動きを手伝う)、
    さらには、下半身(膝を曲げてそろえた脚)を めいっぱい右方向に倒して
    体幹をねじるような格好をすると、

    その格好では スムーズに指が曲がる。 音もしないし、痛みもない。

                      いっやあ〜。ふしぎだ〜。
どしてなんだろー。



>快も不快も反応することなくただ冷静に客観的に体全体をみてゆくのですが、
>快も不快も常に変化しずっと留まることはありません。
>だから操体で言う気持ち良さ(快)の本質はなんなんだろうと考えてしまいました。

>その一瞬・一瞬で快をききわけ快に従えばいいのでしょうが・・・・


    それ、おもしろそう。(^^) 

    外から見たら ものすご〜く微妙に動いてますよ。きっと。
   
    刻々に 次々と 動きの方向が変わっていく。

    ふわりふわりと 快 から 快へ 跳んで歩く。


                   そういえば、翁先生の ひとりでそうたい
                   は そんな感じでした。




    「瞬間瞬間 かわるんだ」  これは、翁先生の 言。


           

>はじめて投稿したのに長々と難しい事を書いてごめんなさい。また時間があったらあらわれます。

     いえいえ。 いっくらでも 現われてください。
.
タイトル: 快と不快
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/18 02:
>快も不快も常に変化しずっと留まることはありません。
>だから操体で言う気持ち良さ(快)の本質はなんなんだろうと考えてしまい
>ました。


  小次郎さんのいう快と不快 は さまざまの要素が 微妙に影響を与え合って
  何が原因でも結果でもないような 全体として 揺らいでいる って感じで
  同時に かなりデリケートな感じわけが出来ていて、
  自分で書いてられるとおり、感受性が洗練され(深められ)てるって感じです。

  少なくとも すべての生き物が持っている 原始的な感覚 として捉えられた
  <快と不快>は こんな微妙なものとしてではなかったんだろうな とは 思い
  ます。

  こういう 洗練された感受性 は 人間独特のものだし。


「本質」っていう言葉は むっつかしい ですよねぇ。

なんとなくわかったような気になって その実 わからずに使っていると
果てのない思考の(コトバの)メリーゴーランドに 連れ込まれそうです。

               僕は よくわかんないので
               使えないな〜 まだ。 (^^;



その中に 快・不快 という文字を見つけて よく調べもせずに買った本があって、
最近 これを改めて 読み返してみたんですけど これが なかなか面白い。


  そもそも それに 近づきたい という感覚を 快 と呼び、

  それから 離れたい 感覚を 不快 と呼ぶ。


というんですね。


                なるほろ〜 って 思いましたよ。


  自分が知っていること、皆が言っている事、世界や宇宙のイメージを
  いったん 全部 完全に捨てて、 改めて これを  自分の実感の場 に
  置き直して コトバとして取り出してみると こうなる、という。
  そんな感じの話だったんですが。



でも こういう 思考の進め方って なーんとなく <そうたい的> だと思いません?

                                   (^^)
.
タイトル: Re:北海道の操体人!
名 前 : くわまん
日 時 : 2001/06/18 10:
サンクスですぅ。
こりゃぁ、ちかいなぁ。
連絡とって見ますぜ。

仙台の佐藤 武先生に会ってきました。
操体法と故橋本先生への静かで強い情熱が伝わってきました。
お時間を取ってくれて、話してくれて、操体法やってくれました。

また仙台行きます。
まず一人でとことん自分の体感覚を研ぎ澄ますことに専念します。
操体人になります。
では、また。
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/18 14:
はじめまして、小次郎さん。

とっても興味深い書き込み、ありがとう。( ^ ^ )
また、どんどん気軽に書き込んで下さい。

小次郎さんwrote;
> だから操体で言う気持ち良さ(快)の本質はなんなんだろうと考えてしまいました。

何なんでしょうね、ホント。

まるさんwrote;
>   そもそも それに 近づきたい という感覚を 快 と呼び、
>
>   それから 離れたい 感覚を 不快 と呼ぶ。
>
>
> というんですね。

と、まるさんが本の引用をしてくれて。
前の書き込みでは、翁先生のひとり操体のことも書いてました。

それを読んでいて浮かんだのは。
流れ、とか、漂う、というイメージです。

近づきたい感覚を快として。
離れたい感覚を不快とする。

そして感覚のままに、近づき、離れていたら、、、。
それは 快 だったり。( ^ ^ ;

この文脈だと、操体的 快 って、快・不快の「快に従う」というよりも、
「感覚のままに」っていうのが近い感じがする。


>   自分が知っていること、皆が言っている事、世界や宇宙のイメージを
>   いったん 全部 完全に捨てて、 改めて これを  自分の実感の場 に
>   置き直して コトバとして取り出してみると こうなる、という。
>   そんな感じの話だったんですが。
>
>
>
> でも こういう 思考の進め方って なーんとなく <そうたい的> だと思いません?

はい。
どうも、快・不快、とか、感覚、というコトバからして、実感の場から洗い直し
てみたくなりますね。

条件反射的につい使ってしまうコトバですが。
もっとナマモノな 感覚 の場に浸って、そこから自然に生まれてくるコトバを。
使ってみたい、ものだ。( ^ ^ ;;
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : 小次郎
日 時 : 2001/06/18 14:
> >快も不快も常に変化しずっと留まることはありません。
> >だから操体で言う気持ち良さ(快)の本質はなんなんだろうと考えてしまい
> >ました。


> 「本質」っていう言葉は むっつかしい ですよねぇ。
>
> なんとなくわかったような気になって その実 わからずに使っていると
> 果てのない思考の(コトバの)メリーゴーランドに 連れ込まれそうです。
>
>                僕は よくわかんないので
>                使えないな〜 まだ。 (^^;
 
 僕もよくわかりません。
 本当は快も不快も深い部分では区別できるものではなく
 ただある という感じでしょうか?
 ほんと わかりません。

> その中に 快・不快 という文字を見つけて よく調べもせずに買った本があって、
> 最近 これを改めて 読み返してみたんですけど これが なかなか面白い。
>
>
>   そもそも それに 近づきたい という感覚を 快 と呼び、
>
>   それから 離れたい 感覚を 不快 と呼ぶ。
>
 そうですね。快は味わってみたいし、不快は味わいたくない
 だけど、どちらもやってみなけりゃわからない。
 
 快も追い続ければ執着になるし、不快もじっくり味わえば
 不快じゃなくなるかもしれない。

>   自分が知っていること、皆が言っている事、世界や宇宙のイメージを
>   いったん 全部 完全に捨てて、 改めて これを  自分の実感の場 に
>   置き直して コトバとして取り出してみると こうなる、という。
>   そんな感じの話だったんですが。
>
>
>
> でも こういう 思考の進め方って なーんとなく <そうたい的> だと思いません?

 そうですね。また色々教えてください 小次郎

話しは変わりますが、北海道の先生は僕達と同期生です。
すごく勉強されています。
                                     (^^)
>
>
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/19 00:
> もっとナマモノな 感覚 の場に浸って、そこから自然に生まれてくるコトバを。
> 使ってみたい、ものだ。( ^ ^ ;;


ほんとに そう 思います。
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/19 20:
   小次郎>
   >そうですね。快は味わってみたいし、不快は味わいたくない
   >だけど、どちらもやってみなけりゃわからない。


そうそう、そうなんですよ。やってみなけりゃわかんない。

やってみた「後」にしか、わからない。

やる「前」は、わからない。

「どこにあるかわからない」から 「近づき」ようが ない。 (^^)


今一度 自分なりに 「感覚の場」に引き寄せてみて <快>というコトバを見てみると
<快>は あくまで ある動きの「結果」として出てくる感覚。

                <近づきたい>感覚 というより、
                <とどまりたい>感覚。

快に出会って、味わって 感覚が消えてしまって その後初めて
「もう一度」とか、「近づきたい」とかいう欲が出てくるわけですが、これは 実際は
「記憶の想起」です。

          (うちの 犬たちを見ていると、これは動物でもありそうです)



でも 同じ「快」を求めて 動いてみても 全く同じモノは 二度とない。

                          実際は その都度違うし。


ですから、快を求めてうろつきまわっていても なかなか 辿りつけない。というか
まあ、無理なんじゃないでしょうか。ふつー。(わはは。いいのかなー、こんなこと書いて)


                「快」 は 「出会いのもの」っていう感じがします。
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/19 21:
プル>
>近づきたい感覚を快として。
>離れたい感覚を不快とする。
>
>この文脈だと、操体的 快 って、快・不快の「快に従う」というよりも、
>「感覚のままに」っていうのが近い感じがする。


   この文脈で、コトバの書き換えをやると、

   「不快から逃げる」は 「離れ<たい>という感覚があれば  <たい>に従う」
   「快方向に動く 」は 「近づき<たい>という感覚があれば <たい>に従う」

   という ことになります。

    これを 一言で言うと
   「感覚のままに」とか「感覚に逆らわない」とか「感覚に従う」
   という 言い方になりますね。 確かに。

                        なるほろ。
  
.
タイトル: 現象
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/20 00:
小次郎>
>  快も追い続ければ執着になるし、不快もじっくり味わえば
>  不快じゃなくなるかもしれない。

こいうこと 言うと、


    思った事、やってミロ!


て、よく 怒られましたよ。 翁先生に。 (^^)



> >   自分が知っていること、皆が言っている事、世界や宇宙のイメージを
> >   いったん 全部 完全に捨てて、 改めて これを  自分の実感の場 に
> >   置き直して コトバとして取り出してみると こうなる、という。
> >   そんな感じの話だったんですが。
> >
> > でも こういう 思考の進め方って なーんとなく <そうたい的> だと思いません?


     小次郎> >そうですね。また色々教えてください

      プル>
         >はい。
         >どうも、快・不快、とか、感覚、というコトバからして、実感の場から
         >洗い直してみたくなりますね。


 こういう 視線の変更 は 現象の学問 とか 現象学 とか呼ばれている哲学の
 入り口 のところで やるそうです。


 ぼくは よく わかってませんけどね。 (^^;  教えるなんて とんでも・・・
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/20 12:
>    「感覚のままに」とか「感覚に逆らわない」とか「感覚に従う」
>    という 言い方になりますね。 確かに。

これとは逆な、操体的ではない在り方っていうと……。

それは、感覚をおざなりにして、アタマに従う、っていうことになるのかな。

まるさんが書いていたように、記憶にある「快」を求める、っていうのもア
タマの仕事だろうし。
または未だ体験もしていない、想像、期待を込めた「快」を、アタマは求め
ることも出来るだろうし。

アタマ、思考、期待、主体の在り方から。
感覚、感性、主体の在り方へ、なのかも知れないっスね。
操体的、って。

> ですから、快を求めてうろつきまわっていても なかなか 辿りつけない。というか
> まあ、無理なんじゃないでしょうか。ふつー。(わはは。いいのかなー、こんなこと書いて)
>
>
>                 「快」 は 「出会いのもの」っていう感じがします。

快とか感覚、感性って、決して固定したものではないし、カタチあるものでも
ないですよね。
瞬間瞬間、新たなもの。
未知のもの。

それを掴まえて、固定して(呪をかける(^^;)、既知のものにしちゃうのが
アタマ。
そうすれば、ある程度コントロール出来るような気がしてしまうし。


感覚や感性主体で、アタマをうまいこと使えればいいのかな。
ま、どっちにしても。
アタマが主導権を握っているのが現状だから。
その合間を縫って、感覚主体でやってみるしかない。( ^ ^ )
.
タイトル: まるさん、東京(のはずれ)に来たるっ!!
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/21 11:
という訳で、まるさんをお迎えし「操体掲示板」のオフ会をすることに
なりました。
普段この掲示板を読みながら「ん〜〜、イマイチよく分からないなあ」
とお嘆きの方は、この機会に生まるさんに質問してみるのもいいかも。

 日 時:7月1日(日)午前10時〜午後1時
 場 所:伏見治療室(最寄り駅は西武新宿&池袋線「所沢駅」)
 費 用:無料

オフ会ですけど、そこはやはり「操体掲示板」ですからねえ。
体動かして遊ぶかもしれないから、スカートやジーンズは損。
出来るだけ動きやすい服装がグーだと思います。

参加申し込みは、プル宛メールを下さい。
折り返し、場所の地図をお送りします。

参加者の数が全然予想出来ないので、出来るだけ早めに申し込みしてく
れるとうれしいです。

よろしく。( ^ ^ )/
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/21 19:
> これとは逆な、操体的ではない在り方っていうと……。
>
> それは、感覚をおざなりにして、アタマに従う、っていうことになるのかな。

    そいうことに なりますね。


> まるさんが書いていたように、記憶にある「快」を求める、っていうのもア
> タマの仕事だろうし。
> または未だ体験もしていない、想像、期待を込めた「快」を、アタマは求め
> ることも出来るだろうし。


    でも それがないと 生きていく元気 が出ないひとも いっぱいいるし。


    妙に 元気が出すぎると、すべてを支配(コントロール)出来
    るような気になって 自分の首を締めたり も する。

                                 (^^;



> 感覚や感性主体で、アタマをうまいこと使えればいいのかな。
> ま、どっちにしても。
> アタマが主導権を握っているのが現状だから。
> その合間を縫って、感覚主体でやってみるしかない。( ^ ^ )


       「感覚主体でやってみよう・・」って「思う」が 出発点。

       ここで、 開き直る しか ないでしょね。

                             この際。 (^^
.
タイトル: Re:まるさん、東京(のはずれ)に来たるっ!!
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/21 19:
無料(タダ)なら、ボクも覗いてみっかな ・・ ぬあんちゃって。 (^^)

          まるさんにも 送ってね。 地図。
.
タイトル: 教えてください
名 前 : みよこ
日 時 : 2001/06/21 22:
大阪・神戸方面で、土曜日または日曜日に操体法を教えてくれる教室を
教えていただけませんか。
.
タイトル: Re:教えてください
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/22 00:
> 大阪・神戸方面で、土曜日または日曜日に操体法を教えてくれる
>教室を教えていただけませんか。


  こんにちわ。 みよこさん。 (^^)


大阪・神戸方面 ・・・・ねぇ。 (^^; 

掲示板見てるヒトで 誰か そちら方面のかた、おられます?
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/22 15:
> > または未だ体験もしていない、想像、期待を込めた「快」を、アタマは求め
> > ることも出来るだろうし。
>
>
>     でも それがないと 生きていく元気 が出ないひとも いっぱいいるし。

ああ、そか。
これだけでもメッチャ楽しく生きていけるし、弾みにも活力にもなるし。

>     妙に 元気が出すぎると、すべてを支配(コントロール)出来
>     るような気になって 自分の首を締めたり も する。
>
>                                  (^^;

うはは。
これもイイっスね。

元気が出過ぎて「オラ、オラ、オラッー!」って、実は自分の首締めてたりして。
何だか知らないけど、すっごい苦しくなってたり。( ^ ^ ;
息も絶え絶えになって、やっと元気がしぼみ。
「あ〜、ビックリしたあ。ホッ」とか。

「あれ? ぼくってば、何してたんだろ?」と、我に返り。
「あちゃ〜。やっちまったゼ。(*^ ^*ゞ」という、反省を何度したことか。

>        「感覚主体でやってみよう・・」って「思う」が 出発点。
>
>        ここで、 開き直る しか ないでしょね。
>
>                              この際。 (^^

実感、実験の積み重ねですね。
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : まる Mail
日 時 : 2001/06/23 01:
> > > または未だ体験もしていない、想像、期待を込めた「快」を、
> > > アタマは求めることも出来るだろうし。


  たいていの人間は 意識してなくても なんらかの「可能性」を
  ココロの底に持っていて  それなしには 生きていけないよ
  うな(元気をなくしてしまうような)とこがある。  

                  ワクワクしてるとき って
                  そうでしょ。


  そして この 「可能性」 ってのは 煮詰めていけば 必ず
  「なんらかの快」を 予期しているんですね。

                  例外はないと 思うんだけど。



  この 「予期された快」の ほとんどは 原始感覚 以外 の「快」みたい。



  この 「可能性」というのを「欲」といってもいいんですが、 
  まあ、目が眩んじゃうような欲は ホントに事態がみえなくなっちゃ
って 自分の首しめちゃうことが多いし、

              > 「あれ? ぼくってば、何してたんだろ?」
                > と、我に返り。
                > 「あちゃ〜。やっちまったゼ。(*^ ^*ゞ」
                > という、反省を何度したことか。

・・・てゆう 話になりやすかったり。 (^^;


  翁(橋本)先生も「ヨクバルの害」について 語っているし・・・




      でも これを 消しちゃうわけにもいかない。


      (というか まず 消えないっしょ。ふつー。)



  どんな宗教でも「欲」が「自己中心性」に結びついているのをみて、
  これを 抑えつけよう って 長いこと 頑張ってきたとこ、ある
  んですけど まあ ほとんどが 失敗してるというか、よけいに
  ややこしくしているというか・・・ (^^;


  だから もう、「単純」に「欲はいけない」と、言ったり 信じたり
  するのを やめたほうがいいような気がしている。

  でも 「単純」に「解放」なんかするのも ただ ジコチューを奨励
  しているだけで 同じくらい どうしようもないけど。



  ホントは すごいヨクバリなのに、 それがないような顔して、
  自分でも なくしちゃったような気になってるっていうのが いちばん
  ややこしい。


  ひとは、自分の「欲」の、「実現の可能性」が 何らかの理由で いきなり
  絶たれると ガックリ落ち込んでしまったりする。


  これは この「自分の欲」について 「全然 わかってなかった」という
  ことなんじゃないかなー。


いくら、翁先生が言ったから  と言っても、「イバルな」「ガンバルな」
「ヨクバルな」と、 教条化(公式化)してしまうのは ちょっと 脳がない。


自分の心を 「いまあるものを感じてみる」 という チカラを抜いた姿勢で 
感じてみれば、きれいに粉飾された「夢」が 実は もっと 単純な、生々しい「欲」
を核にしていることがわかって来る。

                 かっこ悪いかもしれないけど、
                 事実なんだから、しかたない。 (^^)


それに目をつむって きれいな夢 ばかりを 見ているいる事の「危険」 について
警報装置 は付いていないんだろうか。 「痛み」みたいな警報機が。



「快」の追究 というからには 「欲」の見極め が いると思うんだよね。
.
タイトル: Re:快と不快
名 前 : プル Mail URL
日 時 : 2001/06/23 18:
>   でも 「単純」に「解放」なんかするのも ただ ジコチューを奨励
>   しているだけで 同じくらい どうしようもないけど。

「単純」に「解放」するのもねえ。
「発散」と同じで、ただそれだけでしかないようなような……。

もちろん、当たり散らす、ぶつける、は論外ですし。( ^ ^ ;

>   ホントは すごいヨクバリなのに、 それがないような顔して、
>   自分でも なくしちゃったような気になってるっていうのが いちばん
>   ややこしい。

そなると、メチャクチャややこしいですね。( ^ ^ ;
手の付けようがないというか。

> いくら、翁先生が言ったから  と言っても、「イバルな」「ガンバルな」
> 「ヨクバルな」と、 教条化(公式化)してしまうのは ちょっと 脳がない。

教条化はコワイし、嫌い。

> 自分の心を 「いまあるものを感じてみる」 という チカラを抜いた姿勢で 
> 感じてみれば、きれいに粉飾された「夢」が 実は もっと 単純な、生々しい「欲」
> を核にしていることがわかって来る。
>
>                  かっこ悪いかもしれないけど、
>                  事実なんだから、しかたない。 (^^)

そう、そう。

まるさんがよく書いてくれてる「科学者の目」というか。
ありのままの事実、生々しい実感を、感じる「勇気」が必要なのかも。
幻想や期待を払拭した、ある意味醒めた「科学者の目」を持って。

> それに目をつむって きれいな夢 ばかりを 見ているいる事の「危険」 について
> 警報装置 は付いていないんだろうか。 「痛み」みたいな警報機が。

警報機はないんですかねえ。

でも、そーゆー「からだ」からは、ジワジワと実感というか感覚がなくなって、
けっして生き生きとしてはしていない、って感じがしますね。
自覚しにくいと思うけど。

> 「快」の追究 というからには 「欲」の見極め が いると思うんだよね。

「ワタシは、とってもヨクバリ(^-^)」ってスタンスから始めるのがいいかも。
誰でも。
欲のない人なんていないと思うし。

でもなあ。
「いや! ワタシだけは違うっ!」とも思いたいし。( ^ ^ ;
.
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